「ルパン三世」を通して大人とは何かを考える①

●前置き

「ルパン三世」というものを通して大人向け、大人とは何かを考える。
ただ人を殺してエログロ並べりゃ大人向けってんなら楽なもんです。
でもそうじゃなかったから「ルパン三世」シリーズは後世に残る名作になったと思うのです。
作画紹介でも書きましたが画、演出、脚本、セリフ回し、音楽...等々子供の頃に気づききれなかったこだわりや魅力に大人になって初めて気づく。
大の大人が本気で漫画・アニメ・アニメーションに正面から向き合い、別次元だから出来る現実を超越したシュールさ。それをただの荒唐無稽にせず大隅正秋たちのように現実の延長下にあるような写実的リアリズムで説得力を持たせられるかられないかという飽くなき挑戦。
ぶっちゃけ誰がどんな「ルパン」作ってもあーだーこーだ文句は言われるし、ハードボイルドにしろ義賊にしろ同じことが続けばマンネリでつまんないですからね。
そもそも「ルパン三世」という存在が何かを否定する・問題を投げかけるアンチテーゼとしての側面もありますし。初代アルセーヌに対する三世、王道が飽きられ邪道、硬派が飽きられギャグパロディ、それも飽きられ元に戻る...やりたくなったら見たくなったら誰にも邪魔されずその世界に浸れる「ルパン三世」を探し出せばいい。
そもそも「ルパン三世」である必要性はないですし、クリエイターそれぞれが思い描く「ルパン」ぽい何かをやりたいと思ってまったく新しい作品を作ればいいだけのこと。
では、彼等はなぜ「ルパン三世」でなければいけなかったのかを考えた方が面白い。考え過ぎた結果無駄になっがいながい駄文を延々垂れ流すページになってしまいましたがそれでもよろしければ。

●義賊:アルセーヌ・ルパン

シリーズ第1巻「怪盗紳士ルパン」「Arsène Lupin, gentleman-cambrioleur」。イラスト:アンリ・グッシー(Henri Goussé)、1907年、刊行:ピエールラフィット(Pierre Lafitte)社。

まず大本となるモーリス・ルブランの小説「アルセーヌ・ルパン」シリーズのルパンは人を殺さない怪盗であり義賊。
時に神出鬼没の怪盗、時に探偵、時に冒険家。それでも盗みの性からは逃れられず多くの女を愛しては失う悲しみを幾度も超えていく。
ちなみにですが日本語訳だとフランスの原作版とニュアンス(意味合い・意図)が微妙に違ったりします。
モンキー・パンチによる「ルパン三世」が1967年に連載されるまで様々な訳者が手掛けていますが、大胆にアレンジされることも。
保篠龍緒が大正~昭和の戦前から戦後まで幾度か全集を刊行。
南洋一郎が1958年~1961年に全15巻でポプラ社から少年少女向けに大幅に改筆・圧縮。
1971年~1980年には未翻訳だったものも含め偕成社から全書30巻を改めて訳す。
パンチや大隅正秋、宮崎駿たちはどの辺の訳を意識したんでしょうね。

●モンキー・パンチ

第1巻。昭和49年(1974年)刊行:双葉社パワァコミックス。

初代アルセーヌ・ルパンの孫(年代的に3代目は無理がありますがまあ何やかんやあったんでしょう)として登場するモンキー・パンチの漫画「ルパン三世」は殺人も女と寝ることも躊躇しない。
ただ無関係な一般人や警官殺しは趣味じゃない。見ず知らずの女を救うため仕事に撤したりする。ルパンの逆鱗に触れぬ限りは。銭形も三枚目を演じる時もあるが基本頭脳明晰で冷酷な判断も下せる恐るべき銭さん。
時折描きこまれる背景の寒々しさ・コンクリートのような冷たく過酷な世界を生き抜くためのシビアさ。
女と情事にふける間だろうがベッドの下からだろうとお構いなし。衣服は紙のように千切れ、女もルパンも瞬く間に裸体を晒す。女たちも仕込み拳銃といった迎撃武器でタダじゃ抱かれない。回によっては次元まで女と寝たがる。
荒々しいラフでコミカルな絵柄、表情豊かな間抜け面で道化を晒すかと思えば裏のかきあい騙し合いを冷静冷酷に生き残り不敵な笑みを浮かべる。時に偽物相手に最後だけ・最後まで顔を出さず片づけてしまう。
どこまでが真面目かおふざけ、どこまでが計画的か不測の事態でも即座に対応する臨機応変か、どこまでがパロディか。元をたどればモーリス・ルブランもエルロック・ショルメというシャーロック・ホームズのパロディをしたり。
時には父親の代で築かれたルパン帝国(ルーツはルブランの原作「虎の牙」にてモーリタニアで帝国を支配した初代アルセーヌ)の部下たちを駆使し組織vs組織、個人対組織、裏切り・部下・仲間同士の戦いを描く。狼は群れる。だがあらゆる手段を経て最終的に一対一のサシの勝負へ持ち込む狼がルパン三世。
武器にしてもその時々に見合ったもの使い自分の銃をはじめナイフ、日本刀、長ドス、敵の銃を奪ったり靴の先で相手を刺したり得物を選ばぬ何でもアリ。護身のために耐火スーツ、防弾チョッキ、原爆だって本気か冗談か天下の大泥棒にふさわしいとか言っちゃう(もちろんパンチがそれを許すはずもなく)。
時に「007」を意識したようなスパイ活劇、時に自己言及メタフィクション、ネタに困ったら女を抱くエロ展開に対する自虐ネタ、幻想怪奇、不条理、黒焦げになっても数ページ後には復活するギャグ漫画。初期はルパンも銭形も似たような髪型と顔で時々見分けがつかなくなりそうになる。銭形は3話目からソフト帽とトレンチコートをまとうようになる。

第2話「脱獄」より

アルセーヌのように変装や脱獄の名人であり、ルブランの小説にオマージュを捧げるような神出鬼没さ、アルセーヌの影も感じさせつつ現代の無国籍な世界を生きる。
悪党である自分を偽らない露悪的な生き様を貫き、同じように汚れきった悪党どもとの死亡遊戯を繰り広げるピカレスクロマン。
青年誌だからやりたい放題なのではなく、時に凝った表現やセリフ回しも含め限界を攻めるブラック・ユーモア。64話「義賊部々員」なんて義賊とは?な回も。73話「キミが殺れオレが葬る(その1)」の義賊発言も初代アルセーヌの正反対な作風だからこその皮肉。攻めすぎてアルセーヌがギリギリ生きてるわ性欲も極まりなかったりルブランの遺族が見たらブチギレるレベル。
祖父・親・果ては未来の子孫の因縁まで絡みルパンは少年時代の子供、学生時代の若者、社会規範から外れ汚れちまった大人としてルパンなりに向き合い続ける。
最後の最後のどんでん返しまで何が起きるか分からない。過程をブッ飛ばす場面の飛躍。
「1st」演出・脚本陣は原作エピソードの過程を膨らませパズルのように繋げた。
パンチが矢野博之や柏原寛司などの助けを借り自ら映画監督を務めた「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」1996年では原作の持ち味をそのまま映像化する苦労を身をもって体感していた。「1st」の頃と違って原作を読まねえ若手スタッフとも揉めつつ。

TVアニメシリーズを意識した「ルパン三世 新冒険」(単行本95話~)や「新ルパン三世」以降も原作者パンチ独自のやり方で年齢も素顔も曖昧でより底知れぬ存在となっていく。銭形も恐るべき宿敵として立ちはだかり続ける。大人の対応をしつつアニメでは味わえぬルパンを描き続けようとした原作者の意地。
単行本化の際に扉絵を描き直したり、改変や広告スペースの名残り等々も描き加えたり熱狂的なファンをコレクションに駆り立て続ける。というより1974年にまともな単行本化がされるまでB5版の総集編や「漫画アクション」の雑誌を大事に取っておく他なく、ファンや「1st」スタッフは気が気じゃなかったかと。
そういう作品だからこそ「LUPIN THE IIIRD」シリーズの小池健や制作を支える浄園祐といった後続が魅了され、原作原点に立ち返ろうとするのかも知れない。
素顔すら謎に包まれているという設定は後の矢野雄一郎によるTVアニメ「ルパン三世 PART5」2018年における相互監視社会と対決するルパンでも活かされる。

●大隅正秋の1st

「1st」op1。

パンチ版の生き様と世界観にほれ込んだ大隅正秋(おおすみ正秋)たちが映画パイロットフィルムを経てTVアニメでもそれを再現できるのか?と挑戦したのが「ルパン三世」1st。しかし大隅たちが見た夢は大人の事情とやらで潰えてしまう。
大隅が「ムーミン」で出来なかったことをやろう、今度は原作者も制作する自分たち大人も納得できるものを作ろう、あの世界観をお茶の間で大人が、本来のターゲット層じゃない子供も楽しんでくれたらという作品にしようと。
だのに視聴率が振るわなかった途端に味方と思っていた人間が向こうにまわり全否定しやがる。それが大人のやることだってのか。これじゃあもう何も作れない。
大隅が「BSアニメ夜話」でも語った悲痛な叫び、同時に大人げなく何も言わず現場を立ち去ってしまった事に対する後悔。大人とは責任を果たさねばならない。
共に「ルパン三世」の企画に関わった杉井ギサブローならどうしたか?スタッフが路線変更と最後まで戦った「どろろ」のように。杉井も現場に行くのをやめてしまうがスタッフがしっかり引き継いだり杉井への報告や相談と間接的に関わり続けた。
「ムーミン」絵コンテや後に総監督「ラ・セーヌの星」で後半監督を務めた富野喜幸(富野由悠季)ならどうしたか?「ライディーン」のように監督を降ろされても絵コンテ・演出家として関わり続けただろうか?それは分からない。
共に夢を見た大塚康生は責任者の一人として彼等の分まで最後まで現場で戦った。魂を注いで作り上げた作品をそう簡単に弄れるものか。弄るにしても描くのは大塚である。後任として高畑勲や宮崎駿たちを呼んだのも、彼等の演出を受け入れたのも。
高畑たちにしても彼等が自分の名前を出さずAプロダクション名義にした理由。
残された大隅はじめ各演出・絵コンテでそのまま使える部分の取捨選択をし大部分に彼等の足跡が残っている。自分たちはあくまで最終的にチェックした人間であること、残った大塚を中心にスタッフ一同が関わった作品として残すためだったのではないか。
3人で頭を悩まさせつつ何処までそのまま流せるのか、変更しなければならぬのかという苦悩。
「作画汗まみれ」「アニメーション縦横無尽」等でも言及された手直しする余裕がほとんどないほど作品的にも物理的にも完成された12話分なのだから。
大塚によれば前半で宮崎の手も少し入ってる回は5話、7話、9話は原画等も、13話はラストあたり、Aプロ演出が濃くなる15話は小華和ためお(小華和為雄) の名残り、17話の止め絵演出は斉九洋(出崎統/出﨑統)色濃しとのこと。
比較的余裕があったという第11話「7番目の橋が落ちるとき」でさえ見ず知らずの人質にも紳士的に接するルパンと容赦なく悪党を銃殺するルパンが同居している(遠方で死んだか死んでないかハッキリさせない描写とはいえ)。
手錠をされようとも歯・アゴでスライドを引き、揺れる海上で照準を合わせ、ブローバックしながら薬莢を吐くワルサーP38の反動!

「1st」が再放送で再評価されていったのは大人も子供もその迫真性で魅了したからこそ。原作の持ち味も、アレンジした大隅のこだわりも、路線変更と格闘した前半も、変更後に苦心した後半もジグソーパズルのように組み合わさって。
「2nd」のスタッフも「1st」の悲劇を避けるべくバラエティに富んだ作風で視聴者に尽くした
隙あらば本来「1st」でやる予定だった脚本を「2nd」で微調整し映像化したり(第29話「電撃ハトポッポ作戦」等)、原作要素の濃い大人同士の戦いが描かれるエピソードも織り交ぜて(第99話「荒野に散ったコンバット・マグナム」等)。
吉川惣司も「ルパンVS複製人間」で俺たちが本当に撮りてえルパンはコレだ!視聴者だって見たかっただろう!?と訴えかけるような力作を残した。
途中監修に入る鈴木清順もそれに準じた。映画監督として一度は干されたからこそ客が求める作品を鈴木なりに作ろうと。それでも「PARTⅢ」等で悪乗りしたい時はする野心家。
能ある鷹は爪を隠す。その爪はいざという時まで研ぎ続ける。肝心要の一撃を何時かブチ込む日まで。
 
それほどのエネルギーを大隅が残した「1st」初期が与えたのです。
たとえば第1話「ルパンは燃えているか....?!」さあここからはネタバレ全開なので御注意。元となった原作の内容にも触れるので原作未読の方もお気を付けください。

原作第56話「DEAD・HEAT(DEAD-HEAT)」は珍しくお色気もなく盗みのためだった計画がアニメ版はスピード感をベースにたった一人の女を奪い返すため壮絶なバトルへアクセル全開!
相棒の次元大介に宿敵の銭形がいるレース場を任せ、単身バイクと変装で敵地に乗り込み、機関銃で武装した敵を一掃するため水責め&電流で皆殺し!どんな手段を使ってでも圧倒的不利な状況をひっくり返す。
かといって完全にくたばったか徹底的には確認しない(「2nd」1話でしぶとく復活して来ようとも)。
それは少数精鋭で巨大組織と渡り合い帝国として恐れられる男が小物に頓着しないためではない。
原作より一匹狼が強調されているようで個人の限界を超えるための連携!その次元の信頼に応えるため、もうちょっと眺めていたい不二子をバイクに乗せ共に脱走する。
次元もそんなルパンのためルパンと同等の運転技術で銭形を欺く(相棒のために身につけたのか・元々身についていたのか)。

原作「DEAD・HEAT(DEAD-HEAT)」

原作の銭形は爆走中でもルパンに顔見せし次元もお喋りする余裕。アニメ版はそんな余裕が無くとも通じ合う息の合った無言の緊張。作戦を敢行する直前に素早く着替え、時計の針を再確認し、猛烈なスピードで迫りくるマシンとタイミングを合わせ入れ替わる。絶対の信頼と技術がなければ成せないプロフェッショナルな瞬間。直前の大藪春彦を意識した固有名詞連呼なセリフ回しも無線越しの次元を安心させるため。数だけは多い偽物じゃ俺たちは倒せないと。
不二子もルパンが助けにくると信じてか雁字搦めの拘束状態で笑みを浮かべる。原作では毎回違う設定を持って現れるボンド・ガールのような存在。アニメ版は一人の確固たる人間としてルパンたちと幾度も死線をかいくぐる。
情や感傷に流されずハードボイルドに目的を完遂するだけじゃない人間関係。
衣服を引き裂かれ、殺人的なくすぐりで全身まさぐられながらも最後まで抵抗しようとする放送コードギリギリの責め。
そして助けられるも赤ずきんちゃんで終わらず裏で銭形と取引しルパンすら逆手に取る“したたかさ”
起きるかどうか分からぬ奇跡を待つ女の子ではない、奇跡を確実に起こせるルパンという男を信頼しつつ巧みに利用する。
原作でルパンたちを支援していた女もアニメではほとんど何もできずスコーピオンの魔の手から逃れられない。銭形との繋がりが活かされるのもルパン次第という博奕。
ルパンも観客の安全を気にして一大組織の相手はできない。爆弾も優勝カップも投げつけすべてをブッ飛ばすクレイジーさ!第5話「十三代五ヱ門登場」といい山崎忠昭の脚本回は原作以上にド派手な暴走が面白い。何の恨みがあってここまでするんだ山崎...。
ルパンが彼女の裏切りを許すのは大人の余裕とも違う、利害の一致による利用価値によるものでもない。
殺し合いよりも価値のあるもの、一人の人間として心から惚れさせたい・落としたいと決めたのだ。
それは第9話「殺し屋はブルースを歌う」ですべてを委ねた漢たちのやり取りからもうかがえる。
次元の様に殺伐とした殺しの世界で唯一安らぎを得られる存在だからかも知れない。
 
第2話「魔術師と呼ばれた男」も冒頭からマシンガンの連射を浴びせられ例の“からくり”が無かったらお茶の間で血の噴水のスプラッタショーが流れていたでしょう。

しかしヘイズ・コード下のハリウッド映画がそうであったように、規制を逆手に取った巧みな設定・演出で恐るべき不死身の敵との戦いが繰り広げられる。
不二子が隠しブローニングやマシンガン、次元が得意のコンバットマグナムから手榴弾、ルパンがワルサーP38から重機関銃、バズーカまで駆使しても殺せないパイカルの恐ろしさ。必殺技の様に固有名詞と銃器を突き付ける脅しも何のその。ハジキでイキがるチンピラを指先一つでガタガタ震え上がらせる。
原作第7話「魔術師」における描写以上に火炎放射で瞬く間に火だるまになり上着で死に物狂いで消火。
アニメでは序盤から頼もしい早撃ちガンマン次元(原作ではワルサー系をもっぱら使っていたがアニメはリボルバー系がメイン)がいてもどうにもできない絶望。パイロット版やOPでカッコよく決めていたホルスター収納も度重なる激戦でどっかいっちまったのかズボンベルト腰に無造作に突っ込むように。
原作の様に便利な科学者もいない。ルパン自身の知識と閃きで謎を暴く。
酔っぱらいそうな名前の野郎にシャンペンを飲む暇もなく圧倒される屈辱。贅沢に揃えたディナーも重火器も車も粉砕。それを打倒するため、意趣返しするために敵を知り、かつ執着せず秘密ごと葬り去る。
パイロットフィルムの頃から飯どころかワインをのんびり呑む余裕なんぞくれやしない。ようやく酒にありつけるのは「十三代五ヱ門登場」にて包帯グルグルで養生している時。
空腹でも嫌いなものは食いたくねえ、焼け残った残飯を貪るような真似もしたくねえ、クソ野郎にやられっぱなしは我慢ならねえ!意地と誇りを燃料にベンツを走らせる。飯の代わりにリボルバーの給弾と重火器を詰め込んで。食い物の恨みは恐ろしい。煙草も嗅覚が鈍るほど吸わない。不二子の匂いや液体燃料の香りも分析し謎を解いてようやく一服。
シリーズを通して見ると「1st」初期のルパンたちはちゃんと飯食ってるのか時々心配になってしまう。飲むにしても酔っぱらうほど口にしない。敵が来れば即座に迎撃・運転せねばならんのだから。むしろ細見をスーツで誤魔化す強がりやせ我慢にも見えてくる。不二子は一人だけあの肉体を維持するためにガッツリ食ってるかも知れない。風呂も身だしなみもオシャレもいつも気を遣っているし。「1st」後半や「2nd」以降は世界中を駆け回るためのエネルギーか食事場面が増えていく。

原作「魔術師」

ルパンたちは後ろからだろうが脳天だろうが当たり前のように銃撃する。殺し合いに卑怯もクソもはない。後ろを取られる方が、背後を取ったのに殺せない奴が、秘密を暴かれる奴が、殺される方が悪い。
パイカルも確実に殺すために軽飛行機から車に飛び乗り、至近距離で射殺しにやって来る。
今まで遠距離からの火炎放射をいくら浴びせても殺せなかったのだ。一歩間違えば断崖から共に落ちる心中。徐々に余裕が無くなるパイカル、冷や汗ビッショリの賭けから勝機を見出し笑みを取り戻す余裕を見せるルパンの対比。
原作パイカルは女とも寝るわ3か月もルパンを追い続ける。アニメは長くてせいぜい数日。女の服をボロボロにするのは荒縄で滝壺に吊るし情報を吐かせるため。手掛かりを掴めばすぐさまルパン追跡を再開。原作よりも虚無的でニヒルな殺し屋の印象。
原作でも描かれた流血の代わりに刻まれる弾痕・表情が生か死かの緊張を生む。
パイカルはあの一瞬でも流血の有無は確認できたろう(3話以降流血描写は増える)。そうじゃなくともゼロ距離射撃と水没による呼吸不可で免れぬ死。それとも無敵の肉体がそれを怠ってしまったか慢心か忘れちまったか。
脚本の大和屋竺が参加していた鈴木清順「殺しの烙印」は殺し屋どもがランキングを作り世界最強を目指し不毛な争いを繰り広げる。パイカルも世界一強い男の称号を得るため暗黒街で恐れられ、ベッドに入ればギャングの襲撃で夜も寝れない。薬品漬けの毎日と恐怖で強さへの執着を捨てられなくなったのだろうか。
遠慮しないルパンによる火葬と水葬。1話のミスターXがそうだったように、死んだのか死んでないのかハッキリさせない曖昧さでも容赦なく自ら手を汚す殺し屋ルパンの怖さが描ける。
不二子も相手の重大な秘密を握りルパンに預け、ただでは攫われない・殺されない。

隙があれば抜け出し服もバイクもあっという間に調達しルパンたちに警告しに戻って来るたくましさ。
互いを利用し利用され、誰とでも愛し合うようで簡単に肉体を許したりしないのかも知れない底が知れない神秘性。
この話でハッキリするのが『俺たちは美女のおっぱいが見たかったんじゃない!子猫のように肉感豊かな色香で翻弄しつつ、ネコ化動物の如き狩人の賢さと殺人技量をフルに駆使し悪党どもと対等に渡り合うカッコイイ大人が見たかったんだ!!』と。布の下にあるのは艶めかしい肢体ではない。あらゆる武器を隠し使いこなす鍛え上げられた肉体なのだ。「パイロットフィルム」のおっぱいばるんばるんよりも雑誌の裏からバスバス撃ったり小型拳銃で次元を援護してニヤリとさせる方が血沸き肉躍るあの頼もしき不二子を!
んでアニメシリーズから原作に入ると不二子がなんか凄いことになってて脳が破壊されます。
だがルパンは彼女がどんな恐ろしい秘密を抱えていようとも彼女を受け入れる。
灰にまみれた不二子を乗せ、シャワーが浴びれるアジトに迎える。拒まれたら深追いせず次元と一緒にトンボと戯れる。力で屈服させようとしたパイカルとの違い。暇な時間でも射撃訓練を怠らない次元、ひと段落で女とよろしくやれると思っていたルパン、そんな二人がようやく物事に飽き共に野原でだらっと倦怠感に浸る。
 
第3話「さらば愛しき魔女」頼みの綱をサッと引き抜かれても慌てぬ余裕、それを許し合える関係、即座に不意に現れる他者への警戒・迎撃に切り替え運転任せ揺れる船上で標的を狙い仁王立ちする体幹。軽飛行機で脱出をはかり失敗してもアタッシュケースに煤けた服で肩肘ついて笑って見せる。

ルパンも太ももに手を這わせるのは色欲ではなく拳銃で刺客を一掃するため。次元とも息の合った連携で原作24話「トブな悪党」33話「はなれ技」34話「盗っ人ゲーム」の話がカオスに混ざりすぎてワケが分からなくなった島での死闘を潜り抜ける。射撃直後の熱々銃を素肌に挟めるのでパイカルの火炎放射や軽飛行機の炎上はビックリする程度なんだろうか...。
ルパンは魔術師になれる薬も破滅を招く花も欲しくない。かといって正義漢で世界征服を粉砕するのでもない。“こんなもの”のために散らざる得なかった女たちの運命が気に入らねえから焼き尽くしたのだ。
「トブな悪党」でもルパンが涙ながらに不二子の乗っているであろう軽飛行機ごと撃墜。
衣服ボロボロでイカダに乗って魚釣り。のんびりできる時も飢えと隣り合わせの時も。大隅の実物・実証主義的はルパンたちも飲み食いし生を繋ぐ人間ということを何処まで意識していたのか。
10話では9話の悲劇が嘘のように撃墜してきた不二子とワインを飲むことで交渉を成立させるため。
11話では暖かいコーヒーで現場に戻る犯人を見逃さぬため、少女を励ますため。
第12話「誰が最後に笑ったか」も極寒の地を生き抜くため洞窟で魚と酒。原作第15話「シャモ狩り(後に「白い追跡」に改題)にもあった描写だがアニメは不二子が用意した食料をルパンもちゃっかりいただき、ルパンがさも自分が用意したかのような振る舞いで不二子に怒られるユーモアも。
ところでアニメにおける次元の愛銃は手で撃鉄を叩き連射するファニングの必要がない現代の銃。

3話2話

2話の射撃訓練なら普通のダブルアクションによる連続射撃も、西部劇・西部開拓時代のシングルアクション用のリボルバーも、遊びとして西部劇ごっこでファニングのフリも出来る。
次元も拳銃を回転させ腰に収めるガンスピンでエンジョイ射撃。実戦では隙の出来る遊びをせず普通に収納する。寸分たがわぬ射撃をしているので恐らくフリ。ファニングは反動が大きく正確な射撃よりも数撃ちゃ当たる戦法。3話の時はもしシングルアクションなら正確さよりも数で勝負していたのだろうか。
この辺は大塚康生の手癖もあるかも知れないが大塚が著作「アニメーション縦横無尽」「作画汗まみれ」等で語っていた西部劇は「荒野の決闘」「ヴェラクルス」「シェーン」等。
いずれもファニング連射、抜き打ち早撃ち、ガンスピン等。
モンキー・パンチが「漫画アクション増刊号 TV&COMIC ルパン三世 その秘密全公開」等で次元のイメージを得たと述べる「荒野の七人」は押し寄せる敵をファニングで迎撃。
 
第4話「脱獄のチヤンスは一度(脱獄のチャンスは一度)」の銭形の侮辱に対し命と誇りをかけ耐えて耐えて耐え続けやり返す。

原作の一つである第13話「王手飛車取り」でも行われる無用な殺生をしない不殺。アニメ版の銭形にしてみればそんなルパンの計らいをそっくりそのまま返しただけに過ぎない。
「王手飛車取り」の銭形が容赦なくルパンを殺そうとしたのに対し、アニメは殺そうと思えば蜂の巣にして殺せたがあくまでも警察組織の人間として法によって殺すことへのこだわり。
銭形登場はまだ2回目だが(原作も2話目)1話でルパンを追っていた際のモノローグ、銭形も長年の宿敵を死刑にすることを汗をぬぐいながら苦い顔で複雑な心境で耐える。出前のラーメンで手早く食事を済ませ動向を伺い続ける。
ルパンの前ではあざ笑って見せたが本当に哀れんでいる。原作同様、間違いに気づき目の前のルパンよりも部下の命を優先する人間味を偽れない銭形は大隅演出で確立されていた。
次元の『ルパンが死んだら張り合いがなくなるだろうな』というセリフはシリーズを経るごとに重みを増していく。ルパンが倒れた時もあの銭形が殺すはずがないと信じ無言で去ったのかも知れない。

ルパンはそんなこと知ったこっちゃない。仮に心情を知っても受けた屈辱を返さなきゃ気が済まねえ。
誰がてめえの思い通り殺されてやるものか、ハナを明かしてから脱獄してくれるわという静かなる意地の激突。
女の幻想にうつつを抜かすルパンはいない。煙草と視線を交わせれば充分なのだから。冒頭命がけで狙っていた金の山(原作では初代アルセーヌが残し世界中に埋めた隠し財産の一つということが明記)も銭形との対決、マッチを擦り合う仏のやり取りの方が遥かに価値がある。
佐脇徹(さわき・とおる)の脚本回は「殺し屋はブルースを歌う」といい原作の行間を膨らませるような人物の掘り下げ、やり取りが素敵。オリジナル「ニセ札つくりを狙え」も。
謎の多い脚本家だが未映像化に終わってしまったシナリオもそそるような内容ばかり。これが予定通り映像化されていたらどんな作品になったか...と知れば知るほど想像をかきたてる名脚本家だったのは間違いない。「華麗なる標的」は早川ナオヤが「ルパン三世H」で漫画化。

原作第2話「脱獄」以上に暗くジメジメした冷たい豚箱の雰囲気、四季がめぐる外では助け出そうとする不二子、彼女を止めては自分は機会を伺い単身でルパンを助け出そうとする次元たちの不器用な情。1年という期間をルパンも次元たちも捧げ待ち続ける。
パイカルといいプーンといい不二子の愛してしまった者たちへの涙は本物か。
ルパンが握るもののためだけにバズーカで撃たれようが泥にまみれようが鍵縄を撃ち抜かれようがハシゴを機関銃でズタズタにされようが拳銃を投げ捨てて弔ったりはしない。刑務所の目の前で起こる大事故を誰も気にせんのか警官どもは...。
ところで、ルパンの逮捕は秘密裏に行われたのであろう。ただでさえ名を売りすぎて巨大組織に狙われたり、帝国の連合体シンジケートに目を付けられたり、悪党も警察も血眼状態。大々的に報じればどんな連中が刑務所を破壊しにくることか。銭形もルパンの仲間が来ることを警戒して1年中張り付いていた。アニメは物わかりの良い次元だから大騒ぎにならなかっただけで。原作は序盤も序盤でルパンがまだ単独行動で仲間がどの程度いるのか分からない状態だった。
第5話「十三代五ヱ門登場」五ェ門だったり五右衛門だったり表記ゆれが凄い。

原作第28話「五右ェ門登場」29話「ブラック・ポイント」47話(中公文庫版では46話)「ウハ二」48話(文庫47話)「123死56」を組み合わせ更には第5話「サスペンス・ゾーン」の要素も織り交ぜる。
原作の生意気な美男子はいない。三白眼で己を叩き上げ、現代兵器が跋扈する世の中で研鑽を積み、超人的な技量で時代遅れと見なされた剣を銃や爆薬以上の威力に進化させた。キ●ガイしかいない日本・世界で己を貫き生き残るため(野蛮でキチ●イで色キチなルパンを聞きたい人は配信で満足するなDVD・ブルーレイを買おう!)
かと思えば求道的でストイックすぎるからこそ清らかに謝って欲しい不二子にコロッと騙されてしまう純真さもある。渋い声の堅物のようで未熟な若者感もある二面性。
ルパンだっていつも非情じゃない。今回はお灸をすえる程度に考えていた坊やが本当に剣豪と知り本気で殺らなきゃ殺られるとハラをくくらせる。
原作で裏切らなかった百地三太夫もトチ狂って弟子ともども消そうとしやがるのだから。振り返るまでもねえと後ろを向いたままの銃撃!(それとも「魔術師と呼ばれた男」の次元よろしく鏡越しか?)。
原作は錬金術の研究をする。五ェ門も手下を引き連れルパン帝国と組織戦に挑む。むしろ原作ルパンの方が指導と称し手を付ける色キチで爆弾脅迫の●チガイだったりする。
液体燃料による火傷具合は包帯ぐるぐるで一瞬ギョッとさせつつ下は軽い火傷の赤身。大真面目にやったらとっくに両名焼死体である。ルパンだからギャグで済ませられるが実証主義にこだわる以上ある程度はダメージを描写しないとならない。
「魔術師」も一応耐火スーツを着ていたらしいがアニメは恐らく生身。原作の様に次のページ次の話で何事もなく回復なんてことにはならず、軽い火傷だったとしてもしばらく引きずりアジトで回復を待つ。

原作の一つ「ウハニ」より百地と五ェ門

山崎脚本回は原作以上に殺伐とした決闘。例え互いが火ダルマになろうとも、おびただしい一般車両を巻き込もうとも。五ェ門も場所を選ばぬ非情さがなければ勝てないとルパンの行動で覚悟を決めていた。
ニュースのナレーションによる申し訳程度の配慮もこの大惨事でそんなわけねえだろというツッコミ待ちのユーモアがあって良い。というより、こうでもしないと一般人からすりゃ倫理観の欠如した図体だけ大きなガキ以下のキチガ●連中がメチャクチャやって大虐殺をする光景にしか見えない。ただでさえ「ルパンは燃えているか」の観客お構いなし大爆発大炎上(「2nd」第1話「ルパン三世颯爽登場」でもミスターXの仕業とはいえ繰り返され罪悪感を覚える次元もキリがねえ)な連中なのに。
てめえらのクソくだらねえクソ美学で何人殺せば気が済むんだテロリストども!...なーんてそんな作品ではないので。
他の監督なら巻き込まれた生き残りや遺族が復讐のために殺し屋を雇い、報復とか何本も話を作れそうだが増々路線変更からほど遠くなっていただろう。
その後の1982年「100てんランド・アニメコレクション 4 ルパン三世」や2020年「大塚康生画集 「ルパン三世」と車と機関車と」等に収録された描きおろしイラストでは戦いに巻き込まれ困惑する運転手といったカタギの表情も描かれ後半以降の作風も反映される。

本筋に戻るが不二子はここでも下手すりゃ巻き添え喰らってもおかしくない現場で一部始終を記録する胆力を見せ、ルパンにボロボロの下半身で地団駄を踏ませる(原作(「砕く」等)にもいた記者やカメラマン等の要素も取り入れているか?)。
この第三者・マスメディアの視点は無法者たちが我が物顔で大暴れする時代の終わりを予告する(「カリオストロの城」「2nd」第155話「さらば愛しきルパンよ」等)。
それはそれとしてどんな敵でも葬って来たルパンが殺しきれなかった強敵、釜茹でにされた盗賊でもナイフで日本刀をヘシ折ったコソ泥でもない。死力を尽くしても倒せぬ古今無双の存在として認め合っていく。
ところで、弾丸だけ放たれ弾頭を包んでいた薬莢が残るということを大塚は無論熟知していた。
問題は全員が大塚ほど詳しくなかったのか、排莢されていない弾丸のままで作画されている箇所もある。
「魔術師と呼ばれた男」で次の場面で持っていた銃器が変わるといった作画ミスは一瞬の出来事だからまあ百歩譲るとして。
五ェ門が弾丸を真っ二つにする場面は参考資料をそのまま描いてしまった可能性が。路線変更のゴタゴタで余計修正する暇も無かったであろう。いや実は次元が引き金を引く前に真っ二つに(んなわけあるか)。
「ルパン三世」の題名「ン」の部分に弾丸が置かれた粋な演出で余計誤解しちゃったかも知れない。
製作陣が細部にこだわっているからこそ、こういうちょっとしたミスも重箱の隅をぐちゃぐちゃ穿り回すように気になってしまう。ああ大人とは嫌な生き物だ。
大塚がいてもこういう間違いが発生してしまうのだ。「ルパン三世」以降のクリエイターたちもこの手の問題に向き合い続けた。こだわりが強い者ほどクオリティと引き換えに凝り始めたら際限なく、病的なまでに妥協を許せなくなってしまうのだから。
今作後半で銃の使用が激減するのも子供向けへの配慮に加え弾痕、流血描写、転がる薬莢、弾頭のみの弾とこだわりはじめたらキリがなくなるという事情もあったのではないか。
大塚以外のスタッフも描き慣れてきたマシンだけが最後まで唸り続けて。
第7話「狼は狼を呼ぶ」原作第41話「砕く」42話「免許皆伝」43話「殺しのない日」

空手だったり小刀だったり統一されていなかった示刀流を斬鉄剣絡みに集約しルパンとの決着へ。
五ェ門の真似をするが彼のようにはいかない。かといって修行でボロボロになるほど熱心にはやらんと包帯をさっさと巻き捨てるギャグをかまし獲物を狙いに行く。投げナイフ含めあの手この手ルパン流で。
五ェ門も女だからではなく裏切った師匠のように殺す価値もなくなったか。第8話「全員集合トランプ作戦」で躊躇なく男か女か分からん刺客をブッた斬っていたし。
見限るまでは襲撃者を斬り捨てる仕事をし、見限った後は無駄な殺しをせずルパンに礼を示し気が済むまで挑む。巻物の礼を落とし穴でしか返せない不器用な関係が差し出された手を掴み、愛車を両断されても笑い合える仲になるまで繰り広げる狂騒。
原作「砕く」で総帥のモデルは殺されるがアニメ版はルパンの父である二世が殺さなかったことに倣ったか。負かした相手が悪の道に堕ちようが落とし穴にハマろうが知ったこっちゃない。原作の騙し討ちに比べたら拳銃や鎧は斬鉄剣のハンデ程度なんだろうか。
「免許皆伝」の美女は不二子の変装として黒髪とヘソ出しルックが色っぽい小太刀の使い手に。そして五ェ門の『ほう真剣の心得がある女性とは今時感心な...ってまたお前か不二子!』という具合に女嫌いが決定的になったとも言える。
第9話「殺し屋はブルースを歌う」の失った時間を取り戻そうとはるばる異国まで昔の相棒・恋人を探しにやってきたプーン。

原作82話(文庫79話)「能ある悪党は牙をかくす(その2)」のブーン(「˝」が付いた「ブ」ーン)はスキンヘッドのサングラスでいきなりアジトに籠城し盲腸炎のスパイ女をめぐる愛憎入り混じった駆け引き。
アニメではプーン(「゜」「プ」-ン)としてルパンの様に短く刈った髪と口髭のダンディさで不二子との一途な想い出が掘り下げられる。まばゆく蘇る共に過ごした日々、暗く冷たい寒空で銃を向けてしまった苦い記憶。身なり服装もほとんどあの頃のまま、過去を忘れ捨てることが出来なかった悲しき陶酔のダンディズム。
一方ルパン一味は過去を知らない。次元も五ェ門も散々裏切られうんざりする存在としか思っていない。
しかしルパンの考え方は違うのかもしれない。毎度危険な計画に乗り命を預け共に死線を潜り抜け、あらゆる修羅場から生き残って来た女。そんな人間に紙切れなんぞのために血を流させ生死の境を彷徨わせてしまっている。キザなセリフを吐いてこのザマに追い込んでしまった自責。「愛しき魔女」を死なせてしまった時のことをまた繰り返してしまうのか。
プーンも咄嗟の不運が重なり探し求めたものを傷つけてしまった。不二子の怪我の具合を知るのは恐怖で逃げてしまった医者を除けばルパンとプーンのみ。次元は知ってか知らずか取り乱すルパンのために冷静さを保っているのか。視聴者は具体的な状態を見れないが血痕、汗を拭きだし苦しむ不二子、ルパンやプーンの表情で察するしかない。
プーンも寝間着を脱がせた下の傷と応急処置は見ているのであろう。理解はしていた。昔の相棒と再会した衝撃よりも今の仲間の元へ走り去ることを選んだ不二子の表情も、アジトから連れ去る時の不二子を最優先したルパンのセリフも。かといってルパンの様に医者を呼ぶ真似はしない。共に海中へ消えることが出来なかった男はせめてその死だけでも看取ろうというのか。
かつて殺し屋として恐れられた者が、カタギもルパンたちも気絶や凶器を持てなくする程度に部下をコントロールし不二子のみ連れ去った瞬間の心情は何か。

原作「能ある悪党は牙をかくす(その2)」

第6話「雨の午後はヤバイぜ」でマンダラの辰が殺さなかった理由は裏で不二子と繋がり利用価値があったため。今回は違う。不二子という過去に縛られる自分、現在の不二子のためにマシンを走らせる者を見極めたかったのか。
漢たちは互いにすれ違い引っ込みのつかないまま一人の女のため駆け引きを繰り返す。竹槍は殺すためでなく会話をするため、治療を促すため、打開のキッカケを作るため。
五ェ門は原作同様カバンを届けるだけで深入りせず悲しい笛の音を吹く。
向ける背中は女に運命を委ねるため、残酷な決断をさせるため。不本意に別れたかつての相棒との会話をほとんどすることも出来ず、ただ銃弾だけが別れと再会の言葉となって。踊り狂っても失ったものへの涙は枯れることはない。プーンと殺しの世界を潜り抜けた時と似た衣服で立ち尽くすのだから。次元たちに軽薄な挨拶をしたミニスカではなく素足を完全に覆ったズボン・ジーパン。
個人的にこの回でルパンに一番大人を感じたのは治療を普通の医者に頼むということ。
原作もルパン帝国が念頭にあっても組織内のお抱え医師ではなく一般の医者に治療を任せている。アニメ「雨の午後はヤバイぜ」「全員集合トランプ作戦」等も同様。自らのかすり傷から重傷の次元、アニメでは不二子のために医者のプロとしての腕を信頼し命を預ける。
他の悪漢の様に銃で脅したりせず肩を揺らす程度でグッとこらえるように。病院で刺客に襲われるリスクがあろうとも、アジトに乗り込まれようとも、逃げ出されてしまっても。冷静冷酷に切り捨て切り換えられる男ではなくなっていく。

●1st後期

「1st」第14話。

それらのエピソードに対し路線変更にともない高畑勲・宮崎駿たちが再構築したアルセーヌ・ルパンの孫として、怪盗としてのルパン像。「1st」の莫大な遺産受け継いでそうな金持ちも度重なる闘争で金もなくなってきたか常に飢えている、盗みだって必ず成功するとは限らない。しかし貧乏というよりやせ我慢をやめたハングリーさでどんな敵であっても緻密に計画を練り準備し、終盤は小回りの利くフィアットでパワフルかつ縦横無尽に都市を駆け抜ける。
特に高畑・宮崎で増えた描写は群衆スペクタクル。一般人もただの背景・モブではなく無力でもない。組織vs組織が加速する過程で或る時は民衆の中に溶け込み機会を伺ったり逃走したり、壁を突き破れば食事中の家族に出くわし、風呂を覗けば物を投げられ、時に大群を利用し銭形たちを出し抜く。後半銭形はルパンを2度、それ以外の悪党もガンガン捕まえる有能として最後まで最大の宿敵であり続ける。
子供向けにシフトしていくようで冒険心を忘れられない大人たちの激突。激しさを増す銭形たちとの凄まじい争奪戦。
まあ遠慮しなくなった途端に第17話「罠にかかったルパン」で酔い潰れて腕ごと爆死の危機なんて状況になったりしますが。五ェ門も本気か冗談か分からないこと抜かして灰皿投げつけられたり。そんな五ェ門もいざとなれば寛永の侍にもケーキ屋にも警官にもこれくらいの変装もしてくれる。誇りと意地だけでは仕事は成せない。時に相手に合わせ他者のために行動できる人間になっていく。
ここまで来るとカッコつけてもハメ外しても死にそうになるから開き直るしかない。第23話「黄金の大勝負」のようにねぎらいの祝杯ビールだって一家勢揃いで飲む。
不二子の変貌にも注目だ。髪型というのは自由の象徴でもある。
ルパンは短髪だが次元のボサッと長い後ろ髪やアゴヒゲ、不二子の長く豊かになびく髪もこだわらず受け入れる。原作だとパンチが締め切りのこと考えて主人公を楽に描ける髪にしてるだけだけど。

17話18話

後半ショートになる不二子は路線変更と共に色香に頼らず生きようという決意もあったのではないか。

どんなに気を遣ってもタイムマシンで有無を言わさずさらわれたり、せっかく乗り気になってたのに言い出しっぺの馬鹿面がトンズラこきやがるしスポンサーがうるせえし容姿にこだわるのも馬鹿らしくなったかも知れない。

地味な見た目で侍女やTVクルーに溶け込み、他の悪女との結託、変わらぬドライビングテクニックで爆走する。17話でショートボブでも描きこまれた場面もあり悪女とグルだったりあの不二子に戻るのか?と思ったら化粧ごと爆弾で吹っ飛び元通り。意図的な演出か不二子にだけは可愛いままでいて欲しいスタッフと揉めてああなったか。
この髪を短くする行為は後の宮崎駿なら「未来少年コナン」における文明崩壊で少女でも子供でもいられなくなり軍人になったモンスリー、漫画版「風の谷のナウシカ」の死者への手向けも兼ね再起を図る覚悟を示すクシャナと意味合いは更に変わって来る。アレはアレで可愛気とか独特の色気もあるので単に熱量の問題かも知れないが。

●「カリオストロの城」

1stシリーズ後半の延長下にある宮崎「カリオストロの城」も挑み続ける男の矜持が描かれる。

ルブランの小説「カリオストロ伯爵夫人」(日本では「妖魔の呪」としても出版)も意識され、「1st」後半への原点回帰・「ニセ札つくりを狙え」「7番目の橋が落ちるとき」等を下敷きにしつつあの頃の様に殴り合いやピストルだけで片づけられない巨悪との戦い。
「ニセ札」の若い頃は本物を超える偽札の出来栄えに感銘を受け力づくでも従わせようとした。同時に不必要な殺しにもうんざりするイワノフの姿も見た。
ルパンは直接見ちゃいないが悪党に平穏な余生など無いことは知っている。落とし穴を段階的にし説得を試みたイワノフの良心。地下まで一気に落としたカリオストロ伯爵の冷酷さ。
「7番目」には歳を取っても変わらないものが刻まれている。ルパン三世は正義のヒーローなんかじゃない。たまたま悪党どうしが共食いして善人が残るだけなのさ。騙りも、無駄な殺戮も、人質も、サイコパスも粋じゃないから許さないそれだけ。大隅たちにしても宮崎にしても。

「ニセ札つくりを狙え」「7番目の橋が落ちるとき」

「カリオストロ伯爵夫人」は若き日のアルセーヌのロマンス、今作は年齢を重ねた三世が世代の違う若者とどう接するのか。若くいきり散らし、強がりいきがりギラついていた頃の自分が一度は諦めた強敵。それに再び挑む理由は何か。気づいたら本物そっくりの偽札が国営カジノにまで出回り商売上がったり。借りを返さねば気が済まない男にとって丁度良いリベンジの機会、それが商売抜きで義理を通すための戦いへ。

子供と大人・性別・年齢を超えた関係、たった一杯の水の恩義を返すため何度でも死地に戻って来るのだ。
普段パスタやカップ麺だろうと喰らい、どてっ腹をブチぬかれりゃ血を作るためにパンもワインもほうばり食を選ばぬ貪欲さ。煙草も車の灰皿に山盛り。そんなルパンだからこそカップ麺で冷たい夜を耐える銭形との共闘も成せたのではないか。
相手が銃弾の効かない化物だろうとマグナムから対戦車ライフルまでなんでも使い、たまたま死ななかっただけで殺意剥き出しの反撃を繰り広げる。動く歯車という不安定な足場で鉄塊を振り回すんだから当たればひとたまりもない。
なんせ五ェ門の斬鉄剣でさえ装甲一枚斬るのがやっとの頑丈さ。不二子も狭い高台で一人一人確実にレンチと拳銃で撃退しつつ、銭形と結託しTVカメラでカリオストロ伯爵を社会的抹殺にかかる。
得意の色香が通じない敵、あるいは不二子も考えが変わり取り入るよりも距離を保ち爆薬や重火器をひっそり隠し機会を伺うようになったか。本当に捨てたものはルパンではなく過去の自分だろうか。
詳しい描写はないが五ェ門と互角に渡り合ったであろうジョドー(油断していたとはいえルパンに重傷を負わせる射撃力)たちも手ごわい。オマケにワルサーP38も一瞬で溶かすレーザーまであるときやがる。
ルパンだけでなく殺すべき相手には覚悟を示し、必要のない殺しは避ける。
五ェ門の研鑽は殺しを極めるためでも泥棒どもの便利な道具になるためでもない、生殺与奪をかけて戦い抜く武人としてだ。
人斬りするだけが武人ではない、押し寄せる敵の進行を断つため、炎に吞まれようとする仕事仲間を救うため、無益な殺生に終止符を打つため。今宵に一味違う斬鉄剣を振るう武人として。

「1st」第13話「タイムマシンに気をつけろ」等でもそうだがどんな恐ろしい奴も一皮剥けば一人の人間。後半のルパンたちは戦意を失った人間まで殺す趣味は持っちゃいない。
原作「能ある悪党は牙をかくす(その3)」と同じく川向こうの次郎吉戦法で斬り刻むが決定的な違いは命の代わりに命以外を破壊して心をへし折る。最初こそルパンの方から拳銃を突き付けていた。大塚が述べたように終盤まで大隅路線・絵コンテ出崎統の色が濃い中で原作同様殺るか殺られるか。
宮崎たちはお宝や城だけ消し去って女は殺さなかった礼には礼で応える結末を選ぶ。原作の怯えていても性欲だけ平常運転だったのと違い本気で結婚式から入り服を剥ぎ取るどころかウェディングドレスまで着るくらい心を動かし名を残そうと足掻く。
殺し合いが描きたいのではない、プロ同士が知略を巡らせ激突する闘争が、活劇が描きたいのだ。それはラストシーンまで持続する。
恩人にだけは光の中で生きて欲しい、か弱い少女ではなく一人の人間として惚れた女として抱きしめることを拒絶して。抱いてしまえば『ロリコン伯爵』と罵り結果的とはいえ葬ったカリオストロ伯爵(どっちかというと野郎だらけの城だからホモ疑惑すらある)と同じではないかと。
初代アルセーヌは結婚を決めてそれが悲劇になってしまった。パンチ原作における少年時代の三世は怪盗ならぬ怪童にならざる負えなかった。クラリスにはこれ以上辛い人生を歩んで欲しくない。
だから汚れちまった自分は再び闇の世界に戻っていく。自分を慕ってくれる者たちのため、自分を追い続ける銭形のため、ルパンがルパンであり続けるために。
「ルパンは燃えているか」銭形のセリフじゃないですが血が、宿命が、アルセーヌ・ルパンの孫でなかったなら、銭形平次(野村胡堂の小説「銭形平次捕物控」)の子孫でなかったなら...行く先々で出会う先祖の時代から続く因果を断ち切れるのか、運命を変えられるのか。初代アルセーヌも味わった悲しみを繰り返してしまうのか止められるのか。
クラリスにしてもカリオストロの城で信頼できる大人は誰もいなかった。潜入していた不二子も深入りはしない。ルパンが突っ込んできたからこそ、クラリスが椅子でガラスをブチ破ろうとしたからこそようやく動くことが出来た。親しい庭師も何処にいるやら。庭園で愛犬と戯れる幼い少女のままではいられない。彼女は生き残るために車を爆走させ脱出を図った。
ただ助けられるだけの御姫様ではない。結果的に奇跡を自らの行動で勝ち取ったのだ。発砲中の重火器に飛びつく、クソ野郎ごと水中に道連れにしようとする胆力といいこで培ったのか。
ルパンという信頼できる心を寄せられる人間がその力を引き出しのかも知れない。あの厳重な警備の中に幾度も飛び込み命がけでたどり着いた男の。

「2nd」第145話「死の翼アルバトロス」

「さらば愛しき魔女」で葬った大量破壊兵器。ところが世界に飛び出せば次から次に複製人間が世界を滅ぼせるほどのミサイルを抱え、博物館から空飛ぶ生産工場が飛び立ち、日本に戻れば軍事兵器が東京に眠る。知れば知るほど世の中にシラケた悪党のままではいられなくなっていく。
今作は宮崎駿が「照樹務(テレコム)」名義で手掛け赤いジャケットこそ申し訳程度に着るが内容的には「1st」後半や「カリオストロの城」のイメージ。
「1st」初期の若き不二子は服を引き裂かれハッとするが今作の不二子はさらに激戦を潜り抜けてきた女傑。全裸にされようとも堂々とした笑みを浮かべ君臨する。女の髪は命。男にとっても命。不二子もルパンも最後の砦に切り札を隠す。
一方ルパンたちは拠点も車も作戦もボロボロ、服も武士の情けでやることなすこと上手くいかないカッコ悪さ。すき焼きとビールの仇を討つべく灰皿に山盛りの煙草とコーヒーで置き土産の正体を探る。
カッコつけで勝てるなら苦労はない。後先を考える暇もない。なりふり構わず博物館から飛行機ブン奪って追っかけるのみ!不二子奪還どころかクソ野郎が原爆の子種をバラまくだなんて泥棒稼業どころじゃない。原作の頃から悪党が飛ばす飛行物体は無力化される宿命なのだ。
宮崎というより高畑・宮崎のAプロ、テレコムの銭形はルパンを追うたび天秤にかける。ルパンを捕まえるか真の邪悪に気づき優先順位を変えるか。
少なくとも墜落寸前の飛行艇を命懸けで支える人間よりも、一人だけトンズラこく死の商人を見逃せない男として去っていく。銭形にしても小型原爆が世界中に眠ってるなんて世の中になったらルパンどころじゃない。点火プラグや設計図なんて紙屑は破いて捨てるに限る。頼もしき次元・不二子と共に湖へ御到着。

●第155話「さらば愛しきルパン」

偽物が本物を名乗り悪さする話はよくある。パンチの原作第1話「ルパン三世颯爽登場」も偽物との対決な上にルパンは最後まで顔を出さない。ルブラン「アルセーヌ・ルパンの逮捕」へのオマージュでもあるが。
「新ルパン」以降の素顔すら不明という設定を踏まえるなら銭形が認知するルパンの顔。
パンチは物語の始まりとして、宮崎は最後の別れとして偽物も悪党も一掃し自らも去っていく。本来「ドロボウは平和を愛す」という題名なのだから。平和とは泥棒もいない世の中だ。
パンチによる原作シリーズ最初の最終回第94話も「さらば愛しきルパン!」(「週刊漫画アクション」連載時)という題名だが内容は無関係。原作ファンにしてみりゃ紛らわしい名前つけやがってコンチクショウ。
パンチはルパンの終わりであり新たなる物語の予告。本当は次の新連載「パンドラ」の予告だったけどなんやかんやあって「新冒険」の予告みたいな感じに。ルパン帝国への帰還、どっちが偽物か二人の不二子、家族にヤリチ●と化した初代が撒き散らしやがった大量の親戚。

原作「さらば愛しきルパン!」

大隅「1st」最終回も本来は原作「さらば愛しきルパン!」をベースに第11話「健在ルパン帝国」の要素も加えた「ルパン故郷へ帰る」という話になる予定だったらしい(参考:TYPER'Sルパン三世探索隊 - FC2さんの旧ルパン三世・路線変更以前の全26話シノップシス大公開より)。
「ルパン三世颯爽登場」はルパン自身が裁くように殺したのに対し、宮崎ルパンは銭形にすべてを委ねることを選ぶ。
フライシャー兄弟「スーパーマン」における操作されたロボットが襲撃する強盗場面をそのまま再現。劇中でも言及されているようにテレコムのパワーなら「スーパーマン」のパロディもやれると踏んだか。
「2nd」「複製人間」もパロディとして映画ネタを随所に散りばめたが、今作の場合はトーンが違う。
ルパンは素手でロボットを破壊できるスーパーマンではない。目の前の惨状をかいくぐり、敵にも捕らわれやっとの思いでラムダにしがみつくのが精一杯。次元、五ェ門、不二子もひたすら彼を待っていたかのように登場し無駄口を叩かず手早く掃除。
平和を守るはずの国防軍の方が街を破壊する様は「1st」初期のアウトローたちがカタギそっちのけの殺し合いを繰り広げる惨状を意識しているのだろうか。あの頃の様に申し訳程度の配慮はしない。泥棒どもの言いなりになってしまった少女も殺人という十字架を背負う。
偽ルパン一味は靴と素手であっけなくノックアウトのチンケな連中だった。「1st」で日本中、「2nd」で世界中の悪党と戦いお宝を盗み故郷に凱旋してみれば悪党の質も劣化ときたもんだ。キセルを吸う五ェ門はパンチの原作でも読んだのかな。
何もすることがなくなったが最後の仕事が残っている。なんせ本物のルパンが銭形の偽物として登場するのだから。
普段は奪い返す・盗み出すために警察の方が都合が良いので変装する。そうしているうちにルパンも宮崎も思うところがあったろう。何故コソ泥が真っ先に魔窟に飛び込む?どうして肝心の銭形がいつも遅れてくる?挙句体よく利用されたり。なんだって悪党の自分が義賊の真似して正義のヒーローみたいな行動をしている?コソ泥が首を突っ込まなきゃ闇に葬られていた悪事ばかり。それはとっつぁんの仕事じゃねえのかと。
ただ、そこから真相に気づきルパンもそれ以外の悪党共もとっ捕まえる銭形だからこそ最後の希望を託そうとしたのか。ルパンが演じた銭形はある種の理想や憧れも反映されていたのではないか。
こんなとき銭形ならどうする?国防軍相手でも食って掛かるか?子供を抱えて助け出すか?子供の話もちゃんと聞くか?偉そうに説教するが心情を理解し励ましたりするか?本物の銭形はあの後マキとどんな会話を重ねたのだろう。ルパンとしてなら殺人がどうとか人の事を言えた義理じゃない。でもとっつぁんなら?
殺人への嫌悪と罪の意識を吐露したマキに応えるように、本物のルパンたちは偽一味を殺すことなく去った。
さてシリーズを全否定するようなアンチテーゼとしてコレを最終回にぶっこむ狂気。
かといってこれでトドメを刺されくたばるような「ルパン三世」ではない。「2nd」がまず「1st」とは違う方向性で復活したのだから。
そういえば「1st」で大隅が現場から去ってしまったのは「さらば愛しき魔女」だった。「1st」の頃は大塚・高畑・宮崎たちも苦渋の決断でそれまでのルパンを否定せざるえなかった。
「複製人間」でさえ「2nd」に対する問いかけがあった。「2nd」スタッフもこんなことならもっと早く自分たちで最終回と呼べる内容の話を作るべきだったのではないか?
「1st」が苦しみ抜いて23話しか残せなかったのに我々は155話も何をしていたのか?最終回を何回もやれるほどの尺を頂戴したというのに...なんて思ったか思わなかったか。
果たして関わったスタッフたちは「2nd」でやりきれなかったことを「PARTⅢ」やそれ以降の作品でどの程度挑めたのか、納得できたのか。

●原作でも幾度か迎える最終回

なにも「ルパン三世」に疲れてルパンを消す・ルパンの殺害を決意するのは宮崎だけじゃない。

「新ルパン三世」189話「完結編 ENDLESS」

「複製人間」もコピーとはいえルパンの絞首刑ではじまり、モンキー・パンチも「新ルパン三世」第189話最終回「完結編 ENDLESS」で全員爆殺を決行。「2nd」(1977年~1980年)放映終了後の1981年。

ヤップランド、バッドランドと奇人・変人たちとの戦いの果てに孤島で迎える最期。
「1st」最終回「黄金の大勝負」とは真逆の結末。生きるために自ら飛び込み銭形が漢泣きし海原への脱出を描いた「1st」、殺すために完全に閉じ込め涙一つ流さず消し飛ばすパンチ。もしかしたら地獄の底まで潜って脱出したかも知れない...という余地は出来るが。
最初の原作最終回「さらば愛しきルパン!」は連載中に制作されたパイロットフィルムに感心しアニメ化でまた新作描くだろうと一旦終わらせた。
「新冒険」第35話最終回(通算第129話)「ルパン葬送曲その2」も地上波でアニメ化されただけでも奇跡、路線変更されるのは当時としては珍しくも無いと割り切る。それでもアニメとは違う原作の味を最後まで維持し「1st」同様一味の冒険はまだ続く...ぐらいだったと思う。無事脱出できたか途中撃墜されたかは分からない。

「ルパン葬送曲その2」

この宇宙空間への脱出は「複製人間」では逃げ場のない墓場としてルパンがマモーを葬る。
今度の最終回は覚悟が違う。これ以上原作者の知らないルパンを増やしたくない、読者や視聴者が見たくないルパンが作られ続けると言うならいっそ、せめて原作だけでも作者自ら。
他アニメシリーズもルパンが重傷を負い生死を彷徨う回は多々あるが、本当は殺して楽にしてやりたいという制作陣の歪んだ愛のようなものがにじみ出ているかも知れない。
流石に押井守の最初からいなかったという話はお蔵入りにされたが。
これから原作をリスペクトしようと思ったら全滅させて二度とルパン三世を作れなくしてやる方が慈悲深いのかも知れない。まあどうせ過去だの未来だのパラレルだので復活(ry