エジソンやリュミエール兄弟よりも早く映画を創造したとされるルイ・ル・プランス。
ル・プランスの行方が途切れてから彼の産んだフィルムもしばらく消息を絶っていましたが、消息を絶つ前にフィルムを見た人間が少なからずいた事も確か。
ル・プランスの行方が途切れてから彼の産んだフィルムもしばらく消息を絶っていましたが、消息を絶つ前にフィルムを見た人間が少なからずいた事も確か。
今見ると他愛の無い光景の数々ですが、当時の生活を映像に記録した貴重なものです。
リュミエール兄弟はシネマトグラフ(世界初の複合映写機)を創造し、その呼称は後年のジャン・コクトーやロベール・ブレッソンにも受け継がれていきます。
当時は機械の感光が弱くて明るい場所でしか撮影ができず、夜の風景を撮る事が出来なかったそうです。
「工場の出口」は工場から出てくる人々の様子を季節ごとに収めたもの。
「ラ・シオタ駅への列車の到着」で生まれて初めて映画というものを目にしたパリの市民は、音もなく迫り来る列車にひかれると思い逃げ惑ったと伝わります。映画には人を突き動かす“何か”がある。当時の人々はそれほどの衝撃と感動を持って映画を受け入れていったのでしょう。
駅のホームで列車を待つ人々、遠くからグングン手前に近づいて来る列車。それを待ちかねたように近づき、止まった列車に乗り込んでいく。
列車の先頭は劇中二度と出てきませんが、ファーストシーンの列車のインパクトと人々の移動が最後まであの黒い物体を「列車」だと観客に認識させる。
列車の先頭は劇中二度と出てきませんが、ファーストシーンの列車のインパクトと人々の移動が最後まであの黒い物体を「列車」だと観客に認識させる。
フランツ・カフカのメモには、映画創世記に関するこんな記述があります。
「列車が通り過ぎるとき、観客たちは身体をこわばらせる」・・・それは正に「ラ・シオタ駅への列車の到着」を発見した当時の人々の衝撃を表すような言葉でもあります。
最初の「記録(ドキュメンタリー)」は後のネオ・レアリズモの源流でもあります。
リュミエール兄弟は「記録」の中で「水を撒かれた水撒き人」のコメディや「壁の破壊」のスローモーション・逆再生といった実験的な演出をいち早く取り入れた人間でもありました。
「水を撒かれた水撒き人」は水を撒いている男性のホースを踏んで水を止めるイタズラ。
コレはチャールズ・チャップリンの映画やフランソワ・トリュフォーの「あこがれ」等でも引用されています。
「水を撒かれた水撒き人」は水を撒いている男性のホースを踏んで水を止めるイタズラ。
コレはチャールズ・チャップリンの映画やフランソワ・トリュフォーの「あこがれ」等でも引用されています。
また、リュミエール兄弟はミシンの機械仕掛けの動きを見て「フィルムのパーフォレーション(映画や写真など撮影用フィルムの縁に一定間隔で開けられて いる細長い送り穴)を利用したコマ送りのシステム」を思いついていたそうです。
映画もまた機械が連動してフィルムを投影して再生するマシーン・ロボットである・・・ル・プランスやリュミエールといった先陣たちは、既にその事に気付いていたのかも知れません。
映画のマシーンとしての側面を、哲学者のジル・ドゥルーズは映画論「シネマ」「シネマ2」にて語っています。
ドゥルーズ入門は篠原資明の「ベルクソン──”あいだ”の哲学の視点から」や千葉雅也の「動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」がオススメ。
ドゥルーズ入門は篠原資明の「ベルクソン──”あいだ”の哲学の視点から」や千葉雅也の「動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」がオススメ。