ボソボソ演技はただのオナニーである

邦画(日本映画)にしろ洋画(外国映画)にしろボソボソ演技はリアルでもリアリティもありません。
自分だけが、自分たちだけが理解できれば良いという自己満足のヒソヒソ話で他者を小馬鹿にするような態度が嫌われているのです。
ただのオナニー、自慰行為。ポルノ映画やAVの方が客に良いマスターベーションをしてもらおうと体を張っているではないですか。
学芸会の子供たちの方が親や教師といった観客に伝えようと必死で一生懸命に喋っています。
 
そもそも面接官にボソボソ声でアピールしますか?
コンビニやスーパーの店員がボソボソ声で喋って何言ってるか分からなかったら困るでしょう?
俳優だって観客や視聴者を相手にする客商売だということを思い出して欲しいのです。それが本当の現実味です。
親しい間柄でも周りに迷惑をかけない範疇で・最低限聞き取れる音量に調整するでしょう?しないのはただの最低です。
 
脚本家やその他スタッフたちが必死になって考え!俳優が練習を重ねたセリフが聞こえないとあってはセリフの存在価値がなくなってしまうではないですか!!
聞かせる気が毛頭ないなら二度と喋るな!
世の中には喋りたくても喋れない人々も大勢いるというのに!
その人たちの分も俺が私が伝えようって気概はないんですか!?あるから俳優なんてやっているんでしょう!?
本当はまともに喋れる人がわざと聞こえない声でボソボソボソボソ喋り続けるとかナメているのかってことですよ。
 
音声がハッキリ聞こえるように努力している作品は何故そうするのか?
それはストーリーの流れを決めるセリフや必要不可欠な説明、粋なやり取りを楽しんでもらいたいからです。
でなければ黒澤明山中貞雄といった古い作品のDVDに字幕機能がついたりなんかしません。
 
現在はリマスターで映像も音声も超クリアになってセリフも大分聞き取りやすくなりました。映画関係者の皆様方には本当に感謝しています。
それまでは音声トラックの劣化で何を言っているかサッパリで画質は百歩譲るとして音声まで悪いとあっては敬遠される理由にもなりました。
画質も音声も気にしない強者はそういう状態の作品を何本も見て目と耳が慣れた熱心なファンだけです。
普通の人はそこに到ることなく一本我慢できるかできないかで終わってしまうのです。
だからこそ字幕といった補完で本当はこんなにも面白い作品なんだと、新規層にもそうじゃない人にも改めて伝えるために先人たちは努力を重ねてきたのです。
活動弁士が息の長い活躍を続けるのも元々ある字幕の味わいをより伝えやすく、フィルムが欠落している作品の補完をするために。
 
そういう思いを踏みにじるようなものなんですよ技術が進んだ時代にボソボソ演技を良しとする風潮は!
違うというなら今すぐ私のこの偏見を過去のものにして欲しいです。