「この世界の片隅に」-見つけてくれて、ありがとう



★★★★(もっと多くの人に見て欲しい)
 
※画像は海外版の予告と日本版の予告から引用しております
 
それは、川を流れる船の「片隅」で見上げた光景から始まる。
雲が流れ続け無限に拡がる青い空。果てしなく続くその空間は、最初から最後まで「誰か」を刺激し、「誰か」が描く絵、絵、絵で語り続ける映画です。opからedまでぎっしり描かれ続けます。
 
心の中で繰り返される「誰か」の感情と想いは、夥しくため込まれ爆発する時を待つ。
橋の上で放り込まれた先での出会い、夜になったらおやすみ、夢のような一時、スイカが繋ぐ出会い。

 
紙も板切れもノートも地面も何でもキャンバスにし、水平線を引き描いて描いて描きまくり記録されていく風景、顔、月日、年、思い出。
 
彼女が描く絵は生き物のように動き出し、白波が海を走れば波は兎になって海原を駆けて行く。
 
思わずクスクス笑ってしまう微笑ましい光景の数々、いくらドジをやっても笑ってくれた平和な日々、タンポポが風に舞い鳥が羽ばたく空の平穏、結婚しても後退と接近を繰り返す恋愛が少女を大人の女性に変えていく。
愛のある拳骨、思わず申し訳なさそうに目をつぶり笑ってごまかす反応、絶対に笑ってはいけないクソ憲兵との“にらめっこ”、蟻が行列作る行方、水に浮かび沈むもの、戦時下の人々に光をさす闇市、幼い頃の記憶が蘇る再会、紙に溢れるスイカ、甘いもの、夢や希望。

 
どんなに世界と人が変わっていこうが、女たちは変わらないものを貫いて“抗う”ことをやめない。
風呂に浸かり、汗を流し、味の良し悪しに関係なく飯を喰らい腹に詰め込み、服に鋏を入れ針で糸を通して仕立て直し、水の入ったバケツを担ぎ上げ、紙を奪われたら新しい紙を貰い続け、手を握り、引き連れ、腕を振り回し、歩いて、歩いて、歩き続ける。
 
着物を被り隠す黒髪、誰かに何かを打ち明けたそうな、でも誰にも言えないものを背負い込んだ後ろ姿、うなじ、白く輝き日に焼けたりもする細腕、脚、口紅をさす唇、おしろいを塗りたくったり引っ張られたりする頬、顔。
料理くらい誰かに教える気分で、楽器でも弾くように楽しく作りたい。

 
 
二人きりになったら防空壕の入り口だろうがキスくらいしたい…身を寄せ口づけを求めるのは、好きなのかどうか確認するため。両腕を布団にぶつけながら吐き出される複雑な想い。
 
やがて訪れる地面を曇らせる飛行機の影、戦争の音、警報が鳴る/鳴らないで変わってしまう警戒心。
死が迫り来る状況でも見つめ続けようとする絵描きの性(さが)。爆撃機が鳥の大群のように空を覆いつくし、炸裂する砲撃や爆弾の煙さえ、彼女にとっては格好の題材になってしまうのでしょう。
 
男たちはそんな女たちに覆いかぶさり、抱きしめ守ろうとする。破片や機銃掃射が雨のように降り注ごうとも。頼まれなくたって生きて欲しいから。
 
終盤まで、空襲で焼かれた遺体といったものは徹底的に描かれない。あえて「見せない」方がかえって想像してしまい恐ろしいのだから。

波間を漂う帽子、“鬼”の石ころ、血まみれの国民服、ぽっかり空いた穴が誘う“死”、届かぬ声、閃光、振動、木に引っ掛かる飛んできたもの、座り込んだ「あの人」は誰だったのだろう。
 
暗闇で輝き散っていく白い花火、ひらひら舞っていく繋がった腕、花畑まで駆け込み微笑んで欲しかった“もしも”、もっと描きたかったもの、撫でてやりたかったもの…。
 
布で覆い被してまで見せなかったものを「見せる」のは、戦争の悲惨さを伝えるためじゃない。どんなに傷つこうとも最後の最期まで抗おうとする人間の姿を「描く」ために。
 
生きる意思を放棄したはずの者が、燃え盛る焔を見た瞬間に無我夢中で叫び、逃げ続けるのを止め、何度もつぶってきた眼を見開き、布団を投げ飛ばし、「ふっ飛ばせるもんならやってみなさいよ」と言わんばかりに体を投げ出すように火に飛び込み、倒れても這い上がり、バケツに入れぶちまけられる感情の爆発!!
心の溝を埋め距離を縮める歩みより、手助け、会話、髪を切る決意を語る瞳、「何処までも飛んでいけ」と追いかけ突っ走り、耐え続ける“理由”が無くなった途端に溢れ出る怒り、悔しさ、涙。

 
その姿は、幼い心にも焼き付いて離れないものとなって蘇る。
片腕が吹き飛びガラス片が幾つも突き刺さろうが手を握り、引き続け歩き続けようとした姿、座り込んでも…いや死してなおも庇うように。
子供も眠っているだけかも知れない、まだ生きているかも知れない、あるいは認めたくないからこそ必死になって群がる蠅を払い続ける。それを受け入れざる負えない流れ出る“死”
 
失ったものを求めてさまよって、歩いて、歩き疲れた先でたどり着き、“見つけた”者と“探し続けた”者が地面に転がった飯の塊で結びつく。
あの人は、黙って腕にすがりつく子供に隣を許し、暖かく迎え入れてしまう。
 
戦争は人を変える。良くも悪くも、何もかも変えてしまう。ただ、どう変われるかが大事なのかも知れません。

思いやるが故に「帰れ帰れ」とのけ者にしていた人々もまた、変わっていけたのではないでしょうか。
 
何も無くなったというなら、道端の石ころを重石にして案内板を作ればいい。
空で輝き続ける星の海を見つければいい。灯りを灯して暗闇を照らしなおせばいい。

居場所が無ければ探し、見つからないなら見つけ、作ってやればいい。
「なくなった」はずのものが釜を抑えながら飯をこさえ、「いなくなってしまった」ものを描き続ける。
それは、こうの史代の想いも込められているのでしょう。