岡本喜八「独立愚連隊」シリーズは西部劇風の無国籍アクションを日中戦争の戦場で繰り広げた傑作。
※以下シリーズのネタバレも含む。
●独立愚連隊
喜八がデビュー前から温めていたアイデア・脚本を軸に敬愛するジョン・フォードやチャールズ・チャップリン、ロバート・アルドリッチ、ハワード・ホークス等々を思い出す冒険、反骨、痛快な連携・ガンアクションが詰め込まれた欲張りセット。
(参考:「マジメとフマジメの間」等。その他情報をまとめた別ページ「岡本喜八のオールタイムベスト」もよろしければ)
舞台も荒野で作風も渇いたドライさ。時に喜劇・悲喜劇、時に拳銃一丁で突き進むサスペンスフルな活劇、時に二挺拳銃から機関銃・手榴弾も飛び交う銃撃戦。斜に構え傍観を決め込む従軍記者かと思えば、自らの足で死地に飛び込み射撃武器を構え真相をあばく。
佐藤允をはじめ役者陣も作品ごとに違う人物になる奔放さ。戦争を生き延びた人々の本気のごっこ遊びがここにある。
理不尽と死が横たわる戦場・軍隊で規律通りやるのが馬鹿らしくしなったアウトローどもが集まった愚連隊。八路軍や遊撃ゲリラだけで沢山だ、クソ上官にまで殺されてたまるかという反骨精神。
それを貫くためにボロボロ埃まみれ汗染みた軍服、すり減った靴、使い込んだ武器で荒野を突き進む漢たちの説得力ある風貌。華をそえる女たちも個性豊か。荒唐無稽なはずの世界にズッシリ生きる人間模様。
ささやかな幸せも見逃し守ろうとした。それすら許されず無惨に死んでいく光景に憤りを抱えつつ。
戦争ボケでトチ狂って味方どころか民衆まで巻き込みやがる味方組織への反逆。徴兵で兵隊になったが元は庶民だった農民・百姓だ人間なんだ。殴り合いに階級章はいらねえ、殺し合いに右も左もねえ、上下左右全方位どこを向いても敵だらけ!味方だってスパイやクソ野郎だらけで信用できない。
初代「独立愚連隊」1959年で次郎長を名乗るのは助監督として参加したマキノ雅弘の時代劇「次郎長三国志」のような仁侠を通すため。それでも人生は上手くいかない。分かり合えた馬賊もいれば殺し合ってしまった八路軍もいる。先に旅立っちまった仲間も大勢いた。それでもニカッと笑う佐藤允が演じる人間だけでも、一人ぐらい生き延びてこの自由を守りたい。
●独立愚連隊西へ
前作との繋がりはない「独立愚連隊西へ」1960年も一将校、一上司、一部隊どうしぐらいは敵味方人種言語を越えて心が通じ合ったっていいじゃないかと。
布切れ一枚なんぞのために繰り広げられる不条理な争い。フンドシがありゃそれでいいだろうが!旗なんぞよりも黙祷だ生き残りの捜索だ祝言だ!賑やかな歌が度々響き、ションべンすりゃあ霧から敵と出くわし女の尻めがけ追いかけっこ。
裸で水浴びりゃ味方に誤射され、クソ上司に自決を迫られりゃ馬から降りて一騎打ち、参謀ごっこで戦場に戻っていく野郎ども。
廃墟は墓場→押し寄せる敵を押しとどめる拠点、土を掘りかえしゃ地雷からシャベル、通信装置、手榴弾がありゃキャッチボール。
手を握ったまま散るやるせなさはラオール・ウォルシュのアクション西部劇「死の谷」を思い出す。
切り詰めたポンコツ銃がもたらす逆転、仲間たちの死を乗り越えた先で対峙する“敵”と魂が通じ合う瞬間。
戦争映画で戦いの不毛さと娯楽エンタメの面白さを両立させてしまっていいのか?という抵抗をテンポ良く勢いでブッ飛ばし血沸き肉躍らせてしまう喜八。
戦争だからって必ずしもメッセージだの悲劇だの説教だの御高説を垂れりゃいいというもんじゃない。戦争に限らず立派な題材も映画がツマラナイんじゃ台無し。
むしろ最初から面白さで脳味噌に叩きつけられるからこそ、予告なく襲い掛かる理不尽な恐怖、争いの愚かさ虚しさも魂に刻まれやすいのではないか。それを求めていた層にはドンピシャ。
思えば黒澤明による西部劇リスペクトの時代劇「七人の侍」1954年。執拗な野武士の襲撃が空襲の恐怖を思い出す戦争映画であり、それに泥臭く立ち向かう剣戟アクションであった。
西部劇がそもそも南北戦争なり先住諸部族との闘争・負の連鎖なり作品によっては戦争映画。
時代劇や西部劇でやれて現代戦争ものでやれぬ通りがあるものか。
その精神は国や人種に関わらずアルドリッチ「攻撃」1956年にしろサム・ペキンパー「ワイルドバンチ」1969年「戦争のはらわた(クロス・オブ・アイアン)」1977年にしろ同じ考えにいたる監督はいる。
喜八の愚連隊は西へ向かったまま締めくくれる...はずであった。しかし喜八アクションに脳みそを焼かれちまった観客も東宝も更なる戦いぶりを求めてしまったのだろう。
佐藤允といった役者は共通するが、喜八の手を離れていった諸作品は作風が違っても「愚連隊」に連なるシリーズとして記録・記憶されていく。
●作戦シリーズ、戦国野郎
「作戦」シリーズとして始まった喜八&脚本:関沢新一「どぶ鼠作戦」1962年では敵味方が入り乱れるカオスさもポスターの暑苦しさもエスカレート。戦争そのものも曖昧で混沌とした様相になり、佐藤やラストの爽やかさだけが一貫する。
喜八は一旦現代戦から時代劇「戦国野郎」1963年などで活劇を模索する。
俳優はじめノリや雰囲気はコッチの方が愚連隊していたりする。脚本も「愚連隊西へ」から参加する関沢。
今作の佐藤は木下藤吉郎(豊臣秀吉)として忍者たちを巧みに利用し翻弄する役回り。海賊や船も出るのに肝心の海だけ見えねえのはどういう了見だ!?と思ったら「肉弾」「沖縄決戦」等では海が恐ろしい光景として拡がる。
谷口千吉&関沢「やま猫作戦」1962年はカラー。喜八映画よりも肩の凝らない豪快な内容で女の子も盛り沢山で翌年超シリアスな「独立機関銃隊」を撮るなんて想像がつかない。
しかしながら愚連隊で自由の象徴だった佐藤は今作から戦死しはじめる。
ラストは元の脚本「愚連隊突撃せよ」「紅の荒野」から変更し続け本来死ぬ予定の人物は多かった(参考:「東宝・新東宝戦争映画DVDコレクション」第57号 等)。
その鬱憤が次作をより苛烈にしているのだろうか。なんたって喜八が師事した師匠の一人。
黒澤との共同脚本「暁の脱走」1950年(喜八も助監督)で軍隊の愚劣さに抵抗する男女の情熱的な口づけを撮った男。本当は慰安婦を出したかったが、占領下の検閲と激しくやりあい慰問歌手になってしまった。
それを踏まえると、喜八映画の自由な慰安婦たちの生き様に思うところがあったかも知れない。
鈴木清順のリメイク「春婦伝(春婦傳)」1965年も。
●独立機関銃隊未だ射撃中
さて諸作品とは一線を画す谷口&脚:井手雅人「独立機関銃隊未だ射撃中」1963年は日本映画全体でも屈指の厭戦映画に。
自身の「やま猫」に対する、映画版題名でも意識された坂口一郎による戦記小説「独立機関銃隊いまだ猛射中なり」1941年に対するアンチテーゼとしても。今まで谷口にあったロマンチックな湿っぽさは、今作では最初から女っ気のない野郎だけのむさ苦しさで容赦ない火炎放射によって焼き払われる。
敵も中国の八路軍ではなくソ連軍で「愚連隊」の枠組みで語るべきではない。なんせ後の喜八「血と砂」「日本のいちばん長い日」「沖縄決戦」等も予告する凄絶に疲れ果てる殺し合いが刻まれているのだから。
喜八が聞き手になった日本映画監督協会製作「わが映画人生 谷口千吉監督インタビュー」1990年でも好きな谷口映画として今作の名もあげていた。
戦車はミニチュアのチープだったり低予算だが、限定された空間を逆手に取った脚本やセリフの妙、役者陣の演技力で勝負する姿勢は喜八をはじめ多くの名作にも通じる。
白黒に戻った画面の陰影が重い雰囲気に拍車をかける。今作は従来と違い平和かつ黙々と武器の手入れをする丁寧な導入ではじまり、徐々に孤立し押し寄せる敵軍との戦いで身も心もすり減らす。
愚連隊のように無限の荒野に脱出することも出来ず、補給も絶たれいつ弾が切れ使い物になるか分からなくなる武器、トーチカの息苦しい閉鎖区間で消耗品としてくたばり果てる。あの佐藤允でさえ泣きだし最期にはゴミのように死んでいく。
花のくだりはルイス・マイルストン「西部戦線異状なし」を思い出すラストだが、井手による本来の脚本は違う結末だった(参考:「日本シナリオ大系 第四巻」、「新東宝戦争映画DVDコレクション 56号」付属資料 等)。
映画はあくまでも当初の題名「点(トーチカ)」の中に流れ着いてしまった人間たちだけの物語として終わる。今作は井手による本来の名脚本もセットでじっくり堪能して欲しい。
●作戦は続く
福田純&関沢「のら犬作戦」1963年は谷口渾身の一撃など無かったかの如く「作戦」の雰囲気に戻る。
阿片をめぐる三つ巴の奪い合い、ユーモアは喜八&都筑道夫が脚本の犯罪アクション「100発100中」1965年などでも発揮。
坪島孝&関沢「蟻地獄作戦」1964年も「作戦」シリーズの調子で決死隊が橋の爆破を目指す。
喜八要素の薄れ具合と物足りなさも強まっていた。谷啓まで出た時はもしかしてこの映画は坪島のコメディ「クレージー」1963年~シリーズだったのか?なんて。
●血と砂
喜八の傑作の一つ共脚:佐治乾「血と砂」1965年は伊藤桂一の原作小説「悲しき戦記」における名も無き人々の物語がベース。
そこに喜八節や谷口「独立機関銃隊」で使われた小道具プロップ銃・凄絶も叩き込まれた衝撃の結末。
劇団喜八常連の佐藤允に三船敏郎、仲代達矢などなども揃い踏み。
三船は黒澤と組んだ痛快時代劇「用心棒」1961年「椿三十郎」1962年で日本映画全体の迫真性を揺さぶり、仲代も小林正樹&脚:橋本忍の残酷アンチ時代劇「切腹」1962年で張り合っていた。「人間の條件」1959年~シリーズで戦争の極限を撮った小林。「日本のいちばん長い日」も元々は小林が撮る予定だった。
喜八も橋本・三船たちと挑んだ時代劇「侍」1965年で血みどろのテロリズムを描くように。「大菩薩峠」1966年「斬る」1968年「赤毛」1969年にしろ、黒澤の痛快さ流血沙汰に小林の重厚さ陰惨が合わさったらどうなるのか?喜八はスピーディーに展開する狂気でそれを実践。「日本のいちばん長い日」で極まった重量級の一撃を猛烈な速さで浴びせても成立させてしまう手腕は「血と砂」でも拝める。
そもそも殺し合いというものは身も心もズタズタになるものだったのではないか?
規制が緩み始めた戦後映画界の転換点によって、谷口も喜八たちもそれを思い出してしまいフィルムに注ぎ込んでいった時期だと思う。
太平洋戦争で徴兵され多くの仲間や隣人の犠牲が脳味噌に焼き付いてしまった。それでも活劇を諦められなかった人間の出した答え。戦いを通してしか人が人を殺す理不尽は描けない。どうせやるなら徹底的に。
「血と砂」は音楽隊のにぎやかな演奏が馬を駆る小杉の銃撃、猛烈な爆撃・砂埃によってのみ込まれていく。転属で流れ着いた素人同然の兵の集まり、「愚連隊」の頃から自由に生きる慰安婦とも戯れたり少年たちが童貞卒業したり。「ジャズ大名」のような世界なら音楽は平和の象徴として途絶えなかっただろう。
だが時代が戦争がそれを許さない。人間性を保つための演奏もクソ真面目に戦う兵たちにとっては狂気。
オマケに愚連隊の様に頼もしく戦える奴は小杉だけ。初代「愚連隊」で頭がおかしくなっていた三船が今作ではシャキッとした軍人なのが面白い。
銃殺刑に居合わせる雰囲気も違う。従軍記者として不敵に笑って翻弄していた佐藤は、「血と砂」では責任を押し付けられた者として鉄拳をくらう。流血の有無を利用した笑いや狸もいない。
西へ去った愚連隊なら少数精鋭で夥しい敵を食い止め脱出したかも知れない。この映画では個人・少数の限界を無情に突き付けられる。
良き理解者でもある小杉たちと共に死線を潜り兵士になっていく人間たち。それは弱者たちが生き残るために抜き身の刀ならぬ軍刀・銃・重火器にならざる得ない状況でもある。
小杉も強いと言えば強いが完全無欠ではなく徐々にボロボロになっていく。小杉が死に物狂いで散った時、少年たちは兵士ではなく音楽隊として砂の中に消えることを選ぶせめてもの、ああせめてもの。
仲代が演じる佐々木は道理があってもどうしようもない傍観者として、巻き上がる砂塵の前で止まる。
この後も「日本のいちばん長い日」「肉弾」で仲代はナレーションとして膨大な情報を客観的に語る。
「沖縄決戦」では参謀として机上から現場の地獄まで苦悩しながら見届ける。
喜八も含め一度は太平洋戦争に熱狂し主観的に死を覚悟した過去。時がたち冷えた頭で冷静にあの日を客観視しようと思った時、彼のような視点・立場が必要となる。
●遊撃戦とその後
TVシリーズ「遊撃戦」1966年~1967年。監督:竹林進 他、脚本:喜八 他、出演:佐藤允 他。

「血と砂」で引導を渡したかに見えた愚連隊精神は、今作の飛行場爆破を目指し敵中突破をはかる野郎どもの行く末によって締めくくられた。「肉弾」よろしく音だけが響くB29が二度と帰れねえように出来るか出来ないか。
今度こそ愚連隊の戦いは終わる...いや、喜八としてはこれからも描く不真面目とクソ真面目の間で揺れ続ける闘争の始まりに過ぎなかったのではないか。
何故なら「遊撃戦」や後の脚:新藤兼人「激動の昭和史 沖縄決戦」1971年などが「日本のいちばん長い日」1967年でも言及される最前線の惨状を想像できるし、別々の作品でありながら互いを補う要素が諸作品に散りばめられている。大陸で「血と砂」が流れた同じ日に本国の日本列島でクーデター未遂が起きていたのだから。
「肉弾」1968年に至っては戦争を描くのにド派手な戦闘も流血もいらない、兵器もどきのドラム缶で漂流するだけで青春ごと海に流されていく“あいつ”の孤独が「長い日」の後も続く。
戦後しばらくすれば「江分利満氏の優雅な生活」1963年のどうにか生き延びてきた戦中派の想いがにじみ出る。このまま平和ボケに浸っていいのか?と酒の勢いで思いのたけをぶちまけりゃ若い世代との心の距離が開いていく哀愁。
遠くからの視点で客観視すれば喜劇にも映り、当の本人たちは現場視点でもがき苦しんだ末の選択がもたらす悲劇の中に消えていく。気づけば一体彼等は・自分は何をしているのだろうと我に返るが誰にも止められないまま。
喜八のような戦争映画が日本で、日本人監督で滅多に作られなくなった理由は何か。
倫理観の変化や予算の有無だけでなく、喜八たちが既にやりつくしていること、喜八でさえ最終的に全滅する映画を作りすぎて客も食傷気味になってしまったのも原因ではないか。
単なるドンパチにせず見返すのも嫌になるほどの完成度だからこそ。どんなに素晴らしい内容でも何度も何度も見聞きするのはゴメンだ。むしろありのままの地獄に慣れてしまう方が怖い。
「独立愚連隊」で1950年代の日本映画を笑い飛ばした男は、いつしか際限なく突き詰め突き立てられた夥しい映画の中に埋もれていった。同時に、時代を超え他の戦争映画じゃ満足できない映画ファンにたちに耐えず掘り返され続ける存在にもなった。
喜八はその後、脚:井手雅人&古田求「ダイナマイトどんどん」1978年という戦後に生き残った人々の生命力がみなぎる愉快な野球映画を撮った。愚連隊の連中が元気に生き延びていたらこんな感じかも知れない。もっとも気軽に?見返せる闘争。デッドボールも当たり所が悪けりゃ本当に死ぬ。それでも爆弾や鉛玉やドスで殴り込むことに比べりゃずっとずっとマシかも知れない。
まあ同じ年に脚:倉本聰のSFで「ブルークリスマス」したりもするが。
だからこそ「独立愚連隊西へ」のように戦時下でも希望が残る作品も光り続けるのだと思う。