「ガチャ」ではなく「ガチ(本気)」な仕事を

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「絵師ガチャ」「監督ガチャ」「漫画家ガチャ」といった「●●ガチャ」なんて言葉があります。
 
カプセルトイ(ガシャポン/ガチャポン 等)」という一定の硬貨を入れ、レバーをガチャガチャ回すと中からカプセルが出てくる機械。
カプセルの中にはランダム(無作為・任意)に景品が入っていて、出る確率が低く価値の高い「アタリ」、よく出るものは「ハズレ」扱い。
何が手に入るかは運次第、それでも『欲しいものがある。そこにたどり着くためなら何がきても・硬貨を捧げてもいい』という“覚悟”を決めて自らの手・意思でガチャを回す。納得した故で。
 
そうしたにも関わらず、ガチャで出た景品にガッカリしたり文句を言ったりする。
『自分で回すと決めたじゃないか』という考えよりも『博奕に負けた』ような気持ちが出て来る。何と無責任なことでしょう。
 
それが何時の頃からか、「ガチャ」をメディアミックスに置き換える「●●ガチャ」なる発想が出てきたのです。
 
例えば小説が映画化・漫画化・アニメ化される際、その前に第三者(出版社や編集 等)が企画として作者にススめてくる。
作者は自らの意思で了承するかしないかを決め、我が子同然の自作を誰かに託すことを選ぶ。誰が預かるかも分からない状態で。
にも拘わらずメディアミックスが成功すれば「アタリ」、失敗すれば「ハズレ」扱い。
失敗の場合、作者によっては『了承したんだから何が来ても文句を言うな』という気持ちよりも『信じてたのに裏切られた』なんて思ってしまう人もいることでしょう。
最悪ガチギレ(激怒)して封印作品にしちゃったり。
 
そりゃあ預かった人が悪いならその人の責任です。
でも本当にそれでいいのでしょうか?
貴方は何のためにその仕事を選んだんです?
我が子を運任せで預け文句を言うため?
そうじゃないでしょう。
 
やりたいことをやりたいから、自分が欲しいものを手に入れたいから、自らの意思でその道を選んだはず。道を選んだ貴方にだって責任はあるんです。
 
引き受ける側も作品の成否に関わらず「ガチャ」の如く無作為に選ばれたのか、それともやる気があって「ガチ(本気)」で引き受けたのか。
雇われ仕事でしかたなく仕事を引き受け、やる気もないのに杜撰な仕事をすれば「ガチャ」呼ばわりもされます。
 
ですが、自ら名乗り出た・熱望した・雇われでも気合を入れて引き受けたのならそれは「ガチ(本気)」な仕事になるはず。
 
了承・依頼する作者だって「ガチャ」気分ではなく「ガチ(本気)」な心意気で臨むのがプロなんじゃないでしょうか。
むしろ『ガチャを回して決めたくない、ガチャを破壊してでも欲しい者だけ選びたい!』とか、
引き受ける方も『自らの意思でガチャから飛び出したい。俺たちはカプセルの中の奴隷じゃないんだ!』と。モチロンそんなことは『言われるまでもない』という魂を持った人だらけだとは思いますが。
 
納得のゆくまで取り組みたいという姿勢。
ガチの仕事が成功すれば嬉しいでしょうし、逆にガチでやったのに空回りしたり失敗すれば余計落ち込む。
でも『本気じゃなかった』と言い訳せず『全力でやったがダメだった』と悔しがる熱意を買ってくれる人だって産まれるかも知れない。
 
ファンはそれを見ているのです。頼む側も引き受ける側も、両者が「ガチ(本気)」で選んだものを見たいのですから。