●密告したことで「裏切者」になってしまった人々4名
赤狩りの運動の講習会で証言を強要され、映画俳優に戻りたいという欲望に負け、密告を選択。友人を自殺に追い詰めてしまったという罪の意識に苛まれ続けることになります。
その後トランボ、ヤングといった赤狩りに苦しんでいたスタッフが多く参加した西部劇「テキサスの死闘」、「大砂塵」等に参加。スタンリー・キューブリック「現金に体を張れ」の裏切者、「アスファルト・ジャングル」等。
ジェローム・ロビンス
バレエ・ダンス等の振付師、同性愛者(ゲイ)。
当時は同性愛者に対する風当たりも強く、苦渋の末に密告してしまう。
その後アメリカの社会問題に踏み込むブロードウェイミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」、映画「ウエスト・サイド物語」の共同監督を手掛ける。
クリフォード・オデッツ
戦前からカザン等と共に演劇で活躍していた劇作家。
映画製作にも「暁の死線(タイムリミット25時)」にコーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)、ハロルド・クラーマン、ハンス・アイスラーらと共に挑戦。
赤狩り時代は追いつめられ密告することを選ぶ。
転向後はあまり目立った作品を残していませんでしたが、赤狩りに反抗的だった俳優バート・ランカスターが自身のプロダクションでオデッツの作品を採用。
アレクサンダー・マッケンドリックによる近親相姦的暗示とマスコミの腐敗を扱った「成功の甘き香り」の脚本に繋がります。
戦前から演劇や映画スタッフとして活躍。
シドニー・メイヤー、ベン・マドウ等が参加した土地開発問題を描くドキュメンタリー「カンバーランドの人々(People of the Cumberland)」にもスタッフの一人として参加。
戦後は映画監督としてジョン・ガーフィールドも参加し人種差別問題を扱った「紳士協定」等で活躍。
赤狩り時代にカザンも標的にされ、仲間を守り己を貫くか、それとも作品で訴え続けるために映画人として保身を取るか…カザンはオデッツと共に密告することを選択。
かつてジョン・ガーフィールドがスクリーンで披露した演技を受け継いでいたマーロン・ブランドやジェームズ・ディーンがカザン作品でも披露していくことになります。
その後カザンは仲間を売ったことを生涯恥じる…と思いきや「波止場」は密告行為を正当化しているのではないか、自伝でも自らの行為を(最早開き直って)正当化するような著述が目立ち賛否を呼んでいます。
特にかつての友人等に対する扱いの酷さは読後「非難も止む無しでは?」と思ってしまうほど。
●赤狩りの対象にはならず、尚も反撥を示した監督・俳優たち23名
ジョン・フォード「怒りの葡萄」
当時赤狩り運動のトップにいたセシル・B・デミルと真っ向から対立した映画監督。
愛国者でもあった彼は、太平洋戦争中は実際に戦地へ赴き日本軍との戦闘を記録したドキュメンタリーの製作にも参加。
しかしながら赤狩りによる多数派が少数の人々を吊るし上げるリンチ的状況をフォードは気に入らなかったのです。
手掛けた作品には反権力や裁判を題材にした社会派の映画も多い。
「アパッチ砦」はカスター将軍を暗に批判しアパッチも敵対するとはいえ対等に描写。
特にバリバリのタカ派だったジョン・ウェインに人種的偏見に凝り固まったレイシストを演じさせた「捜索者」、西部劇の終焉と新たな時代の到来・自己犠牲を貫き敗者として去っていく「リバティ・バランスを射った男」、人種差別の弊害を突き詰めた「馬上の二人」へ至る。
当時全米監督協会の会長も務めたリベラル派。
ナチス・ドイツのユダヤ人に対する迫害から逃れてきたフリッツ・ラングの渡米第一作「激怒」の製作も手伝う。
自作に赤狩りで追われた脚本家を多く参加させた社会派。
ヘイズ・コード下でもスターリング・シリファントと組んだ強烈な「殺人捜査線」等で暴力の恐ろしさを描き続ける。
ヘイズ・コード終焉以降はクリント・イーストウッドと組み「ダーティハリー」等を監督。
「オックス・ボウ・インシデント(牛泥棒)」
戦前から多くの問題作を撮った過激派。
ノワールを数多く手掛け、その要素を西部劇に持ち込み1950年代ハリウッドを支えた監督の一人。
赤狩りに苦しめられていた作家を起用し続けたフィリップ・ヨーダンを介しベン・マドウ等と組む。
マーク・ヘリンジャー
ダッシン「真昼の暴動」や「裸の町」の制作を手助けしたプロデューサー、コラムニスト。
ジョセフ・H・ルイス
変名を使ったトランボと組み多数のノワールや西部劇を発表。
人種差別問題に真っ向から異を唱えた俳優の一人。
カザン作品で頭角を現すも、彼と決別した後は西部劇を否定するような「片目のジャック」を監督。
ギャング映画コッポラ「ゴッドファーザー」等に出演。ハリウッドの差別的な描写に抗議するため受賞を拒否。
モーリス・キング
ルイス「拳銃魔」やラパー「黒い牡牛」といったトランボ参加作品の制作。
フランク・キング
モーリスの弟でモーリスとともにトランボ参加作品を手掛ける。
シドニー・メイヤーズ
ドキュメンタリーを得意とした監督。
初期はヘレン・グレイ&ラリー・マディソンによるヨーロッパから逃れた人々「カミントン物語(The Cummington Story)」に参加。
代表作に人種差別問題「口数の少ない奴(The Quiet One)」等。
ジョージ・スティーヴンス
赤狩りに立ち向かった監督の一人。
日系人への差別問題を描く「日本人の勲章」を監督。
「ヴェラクルス」
ホークスとワイルダーが組んだ「教授と美女」等に出演していた俳優。
元々は保守派でしたが、その後フレッド・ジンネマン「真昼の決闘」で仕事を共にした脚本家カール・フォアマンたちを庇う側になっていきます。
「真昼の決闘」「乱暴者」の監督を務めるはずだったジョセフ・ロージー、脚本(初期草案)ベン・マドウを赤狩りの影響で失うもフレッド・ジンネマン&カール・フォアマンといった人材を確保しアンチ西部劇「真昼の決闘」、暴走族を題材にした「乱暴者」等を制作。
後に監督としても挑発的な作品作りを続ける。
「ニュールンベルグ裁判」、特に「手錠のまゝの脱獄」はネドリック・ヤングを脚本家に起用。
ラズロ・ベネディク
「セールスマンの死」「乱暴者」等の監督。
フレッド・ジンネマン
「真昼の決闘」等を監督した社会派。
●マッカーシズムへの反対運動に参加した12名
ヒューストンと共に「忠誠の誓い」に反対の意思を示した監督。
ヒューストンをはじめウィリアム・ワイラー、ニコラス・レイ等の作品に出演した俳優・自由主義者。「シナトラ一家」にも参加。
特に「孤独な場所で」は赤狩り時代の人間不信と異端者排除の闇が刻まれた作品でもあります。
ホークス「脱出」「三つ数えろ」を経てボガートと結婚、ヒューストン「キー・ラーゴ」でも共演。
バート・ランカスタープロでアルドリッチを起用し「ヴェラクルス」「アパッチ」、他ジンネマン「地上より永遠に」等に出演。
人種差別が根強かった当時、自身が結成したグループ「シナトラ一家」にアフリカ系のサミー・デイヴィスJr.を加入させた歌手。
自身もイタリア系出身のため差別されることに怒りを覚えていたそうです。
アフリカ系ミュージシャンを積極的に雇ったミュージシャン。
グレゴリー・ラ・カーヴァ「ステージ・ドア」等に出演。
●その他当時活躍したリベラル派5名
日本で赤狩りの対象にされた監督の一人。
社会派を代表する監督の一人。
上に同じ。