ラオール・ウォルシュ「港の女」-「雨」の傑作

Sadie Thompson

★★★★(傑作)


サマセット・モームの短編を戯曲化した舞台の映画化で、ラオール・ウォルシュの傑作。
同じ原作の映画化でルイス・マイルストン「雨」淀川長治さんも参加した「映画千夜一夜で興味を持ち、そこでウォルシュの「港の女」も知ることが出来ました。

 
個人的にはウォルシュ作品の方が好み。


ウォルシュはギャング映画や西部劇の逸品が多いですが、改めてコメディと恋愛映画の名人でもある事を思い知らされました。

「雨」もジョーン・クロフォードの存在が凄かったですが、「港の女」は製作を兼ねたグロリア・スワンソンの存在感と演技が圧巻。

「雨」は初っ端から雨が降りしきっていますが、「港の女」は最初晴れた空から始まります。そこから雨季に入り雨が延々と降り始めるのです。
デヴィッドソン神父とサディ・トンプソンの“闘い”のゴングを打ち鳴らすように・・・。

物語の舞台は南洋のサモア諸島
ファーストシーンの手紙のやり取り、颯爽と登場するミス・トンプソンことサディ・トンプソン(グロリア・スワンソン)。
男たちを振り回す自堕落な娼婦である彼女は、本土に戻れば監獄行きのワケ有り女。南洋の島に逃げて来ていたのです。

ウォルシュらしいテンポの良さと、グロリア・スワンソンのエネルギッシュな演技も相まってとにかく面白い。

外は雨が降り始め、ホテルの中はトンプソンたちの乱痴気騒ぎ。

最初12分はトンプソンたちの狂乱で笑わせてくれます。

そして12分が過ぎ、いよいよデヴィッドソン神父とミス・トンプソン、最初の“闘い”が始まります。

「雨」
ではウォルター・ヒューストンが、「港の女」ではライオネル・バリモア。どちらも名優ばかりです。

熱烈な信仰者であるデヴィッドソンは、自堕落で他人の迷惑も考えないトンプソンを放っておけない。
伝染病の検疫のために島に来ていたデヴィッドソンですが、彼は悪魔的に騒ぐトンプソンの心が“病んでいる”と思ったのでしょう。
スワンソンとバリモアの口論。サイレント映画ですが、今にも二人の怒声が聞こえんばかりの迫力です。

そんなデヴィッドソン神父を殴りつける屈強な男。彼はトンプソンを愛するオハラ軍曹。
「雨」ではウィリアム・ガーガンが、「港の女」では監督であるウォルシュ本人が演じています。
ウォルシュは俳優としても経験豊富。リンカーンを殺したのもこの人です。(「國民の創生」)
この頃はまだ眼帯を付けていないようですね。

粋な登場をしたウォルシュですが、この作品も粋な場面がいっぱいあります。
煙草で“キス”する場面とか、雨が降りしきる中でトンプソンとオハラが会話するやり取りとか、オハラがトンプソンをおぶって走る場面とか・・・ユーモアもたっぷり。これらのシーンは「雨」でも描かれていました。
特に雨どい?でウォルシュと会話を交わすスワンソンの表情が色っぽくて可愛いのなんのって。



でも、中盤の雨のシーンでフィルムがぼやけるのは演出?それともフィルムが劣化しているのでしょうか。いずれにせよ不思議な場面です。

しかし、あのアルバム写真はなんなんですか。首の取って付けた感じが酷い。

バロス。

その直後にオハラの元に届く“手紙”との温度差。

オハラが中々トンプソンの元に来れなくなると、今度はデヴィッドソン神父がちょくちょく来るようになります。
神父はトンプソンを“善人”にしようと彼女に働きかけます。
しかしどんな手もトンプソンには通じません。気のせいか、食事中の神父の顔が極悪人にしか見えねえです。

物凄い剣幕で神父を罵るシーンの凄味といったら!
スワンソンを抑えるウォルシュがおっぱいに触っているようにしか見えない私は死んでしまえばいいですねハイ。

しかし、神父も“奥の手”を使ってきます。
コレには流石のトンプソンもタジタジ。さっきまであれだけ喰ってかかっていた彼女の狼狽振り。神父に助けを求める場面はややオーバーアクトな気もしますが、それだけ心がグラついているシーンなのでしょうね。
ただ、デヴィッドソンも責任感の強い男です。彼女の“心の病”を救おうと懸命に努力を続けます。
トンプソンは厚化粧を止め、髪もおろして“おしとよかな”女性に変貌します。オハラはその様子にショックを受ける。
「貴様サディに何をしたんだ!」と言わんばかりに神父を殴ろうとするオハラ。しかし、心を改めた彼女の様子を見続ける事で、オハラもそんな彼女を改めて受け入れます。オハラもまた男です・・・。

デヴィッドソン神父もまた、そんな彼女の生まれ変わった姿を見てすっかり彼女に“惚れてしまった”ような素振りを見せます。
そして、自分の役目が終わった事も悟ったのでしょう。彼はトンプソンと“最期”の会話を交わします・・・。
このシーンは、何故か紙芝居のようにスチールと字幕だけで語られます。どうやらこの部分のフィルムは失われてしまっているようです。

神父は、トンプソンに対して芽生えてしまった“肉欲”を殺すために、己の肉体ごと葬ってしまったのです。
雨があがり、浜辺の猟師の網にかかる遺体・・・。

フィルムはまたもスチール写真と字幕のみで語られていきます。終盤の大部分のフィルムも失われてしまっているようです。

トンプソンは、彼の死にショックを隠せません。それは悲しみでもあり、怒りでもあったと思います。
彼女は、自分のために死を選んだ男の心を理解できなかったのでしょう。
「男なんてみんな豚よ!豚ばっかりだわ!死んじゃったら何にもならないじゃないのよっ!バカヤロー!!」って感情が字幕から伝わってきました。
トンプソンは、再び娼婦の格好をしてオハラと行動を共にする・・・。

うーむ、ラストのフィルムが残っていないのが惜しまれます。それでも充分すぎるほど凄さを堪能できる作品でした。