「浪人街(1928年)」-不完全でも魂が震える“一瞬”の数々


マキノ正博(雅弘)が1928年に完成させた幻の傑作「浪人街」
公開当時は、全三篇からなるシリーズものでした。後年リメイクされる「浪人街」は総て「第一話 美しき獲物」がベースになっているようです。

現在販売されているDVDは、
「第一話 美しき獲物」のクライマックスを8分、
「第二話 楽屋風呂 第一篇・第二篇解決篇」のフィルムを70分以上、
そして「浪人街」ではありませんが同時期に公開された崇禅寺馬場」の断片が32分収録されています。

残念ながら「第三話 憑かれた人々」のフィルムは無いようです。一体何処に眠っているのやら・・・。

でも・・・伝説の一篇に触れられるならば、マキノファンならコイツァあ買うしか無えですね。

画質の保存状態は余り良好と言えないですが、それでも画面全体を震わせる俳優たちのエネルギーがガンガン伝わってきます。


一瞬の躍動感、浪人たちを取り囲む人の群れ、群れ、群れが斬りかかるフルスピードの死闘。
 


そして「おのれッ裏切ったなッ」の問いに対し、

「馬鹿ッ!表返ったのぢゃわッ」と言って見せるマキノ節の何と粋な事か。
その表情の活き活きとした事。

そして今までの罪滅ぼしか、たった一人で修羅場を引き受ける義理人情。この一瞬の場面の熱さ。

母衣権兵衛や荒牧源内、土居孫左衛門といった浪人がたった一人の惚れた女のために数多の刃の中に飛び込む“馬鹿野郎”なら、そんな男たちに惚れてしまった赤牛弥五右衛門もまた“馬鹿野郎”です。
これほど仁義に厚くカッコイイ馬鹿野郎共どもは早々いませんね。
仲間のために魂を燃やせる馬鹿は、いつの時代も素晴らしいです。賢いだけじゃ生きていけない、どうせ死ぬなら馬鹿を貫いて死にたい・・・的な。

・・・さて、そんな最高速度の“一瞬”が凝縮されたフィルムを見てしまった以上、幾らマキノ正博とてリメイクは劣る・・・なんて事は無いのがマキノ正博の凄いところです。

現在まともに見られるリメイクは、1939年版「浪人街(1939年)」「酔いどれ八萬騎」に続く三度目のリメイクとなる1957年版だけのようです(もしかしたら私が思い違いをしている可能性もありますので、どうか詳しい情報をお持ちの方は教えていただけるとありがたいです)。

1990年に黒木和雄監督・マキノ雅弘監修でも「浪人街」が製作されていますが、どうもサイレントが持つ雰囲気からは余りに離れすぎてしまった印象です。流血やエロも解放されすぎてしまった印象。

それでも、見て損はしない部分も結構あったり。
1957年版との比較が面白いです。

しかし、見るなら断然1957年版の「浪人街」です。

初代「浪人街 美しき獲物」をベースにした作品。監督は同じマキノですが、流石にサイレント版と比べると本作は見劣りするかも知れません。人々の仕草のインパクトやクライマックスのキチガイどもが猛烈なスピードで斬り合う迫力は初代が圧倒的。
1957版の藤田進、近衛十四郎河津清三郎…いずれも中年のどっしりとした感じ。それに振り回される女性陣も何処か熟した様子。緊張の漲りや勢いもかなり欠けています。
ですが、河津は初代「浪人街」で凄まじい死闘を演じた一人。彼の若き日と成熟した演技を見比べるだけでも見る価値はありますし、何より本当に火花を散らすような大喧嘩の楽しさといったらありません。

バッチバチ
 
冒頭、人々が行き交う街中を上空から捉え、横たわる面、「強い奴 弱い奴…」うんぬんの字幕は初代からあったそうな(冒頭部分は未だ発見されず)、浪人の歌に人々が集まるシーンからすべてが始まる。
 
撮影はなんたって初代「浪人街」からマキノ、溝口健二の傑作群で実力を振るった三木滋人(三木稔)。この人にかかれば、旗本がいらぬ情けで投げつけた金に抜刀で“返事”をする場面も最高にカッコイイ。


旗本連中だろうが何だろうが喧嘩腰、そんな喧嘩馬鹿がひしめき合う浪人街。
情け駄賃はいらんかと思えば仲裁料は貰って一儲け、酒代を賭けて表で喧嘩、役人も酔いを醒ます勢いで表に飛び出てヘタレを晒す、口喧嘩から刃を交え火花を散らしまくる様子は後のスター・ウォーズライトセーバーである(違います)。
こんな馬鹿らしい(褒め言葉)タコ踊りでもやるような殺陣を撮ってしまうのもマキノの遊び心。本気の殺し合いならこんなことはやらない、なんたって彼等の喧嘩は親しい友人になる前の挨拶みたいなもんなのです。なんせ愛しき喧嘩相手を見つけてくるっと再会するシーンの微笑ましさはどうですか。
藤田進と河津清三郎黒澤明「用心棒」でもユニークな存在でした。
何故か太鼓打ち、ダイナミック飲み逃げで「スマン」、役人仕事しろ、ドイツもコイツも酔いどれのろくでなしばかり。
女は畳に拡がる水を拭い、手を震わせ火を消し泣きつく。鞘で膝をグリグリされたってどうしようもなく好きだから、障子は誰かに見せつけるかのように開け放たれている。
娘をナンパする旗本どもをビビらせる高峰秀子の貫禄(1957版オリジナルの登場人物)、隣の部屋に男がいることを承知で着物の帯をとく仕草が色っポイ。
狭い一軒家の影の蠢き、薄暗さが兄妹の悲惨さを際立たせる。
投げ出された刀、部屋から出て行った後の「げんなーい!」の一喝、依頼を受ける代わりにふっかけまくるやり取りにまたもにんまり、“短刀”の行方、「あの娘欲しいから工面して」なんてそりゃぶっ叩かれるww
しかし旗本どもも巻き込む喧嘩売りから事態は徐々に変わっていく。
酒で和平と思わぬ決別、人質と死闘の予感・尚も振り回される女たち、突き飛ばし→突き飛ばしへの繋がり。
女たちは鞭を打たれたり、必死に脱走したりしているというのに馬鹿どもは叱られたり酔っぱらって柱に抱き着いたり。
そんな奴らが他人のためにたった一人で殴り込み、罠と解り「俺はいかねえぜ」と言ってたのに駆けつけたり、馬に乗って突撃したり、全軍引き受けて槍をブン奪ってまで戦い抜いたりするんですよ?この映画の浪人どもは、そういう馬鹿野郎ばっかりなのですよ。

本作の赤牛は最後まで道化を通すような戦い
 
燭台は鈍器に、木の陰の葛藤、“表返り”、御用提灯の光が夜道を駆け抜ける酒場、豪快に酒をブチまけ、押し寄せる人々の中に消えていく…。

●1957年版

●1990年版