短編「紅葉狩」-現存する日本最古の映画を見る

世界的に見てもルイ・ル・プランスやリュミエール兄弟エジソンの映画と並ぶ大変貴重なフィルム。

日本における映画の原型は、和元年(1801年)に初代・池田都楽が作った「写し絵」にあると言われています。

映像としては、リュミエール兄弟が撮った「明治の日本」という1896年~1899年の間に撮られた25分のショートフィルムに残されています。
「明治の日本」より
 
本当は浅野四郎の「化け地蔵」「死人の蘇生」といったストーリーを持った短編が1897年に撮られているそうですが、残念な事にフィルムは現存していないそうです。
 
今回紹介する紅葉狩りは、柴田常吉が1899年に撮った映画だそうです。
 
映画・・・というよりは歌舞伎のような演目を記録した6分間のフィルム。
出演者は九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎と当時有名だった歌舞伎役者ばかり。
特に子役として尾上丑之助が出演しており、子役がスクリーンを飾った映画としても日本最古の作品となるのでしょう。

題名とともに現れる歌舞伎のメイクをあしらった絵。
女形の舞い、女が屈んで後姿を見せ、再び立ち上がり舞いを終える。後ろの大木の下で鎮座する男は演奏の人でしょうか。

次は刀を構えた侍と赤獅子が対峙する場面。木の枝を引き抜いて侍と切っ先を交え切り結び、長大な赤髪を振り回して男に浴びせかかる。

特に気になったのが、あやまって扇を落としてしまう場面。それを他の人間が拾う・・・というのはどうやら演出ではないようです。
 
なんでも四方田犬彦さんの「映画史への招待」によると、普通リハーサルというものはセリフや演技の間違いとがあると撮り直しをするじゃないですか。まして撮り直しが効くフィルムは尚更。
ところが、当時映画というものを軽視していた演技者たちは、撮り直しをする事無くそのまま演目を続けたそうです。
演目を行った九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎は、あくまで自分達の生きた姿を記憶として残せればいいぐらいに思っていたそうです。

まあ今でこそ四方田さんが言うように、溝口健二「残菊物語」で田菊時代(九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の全盛期)の栄華を讃えていますし、当時に生きた人々の伝説を拝めるだけでも大変素晴らしい事です。
 
ただ歌舞伎の映画的演出の軽視は、映画が活動写真として庶民に根付いてからもしばらく後を引きます(女優ではなく女形の起用・様式美を意識しすぎる立ち回り)。
当時の日本はまだまだ歌舞伎の人気が根強く、時代劇と言っても歌舞伎特有の女形や所作にこだわった殺陣と映画としての醍醐味は抑圧されたような印象を受けます。

そんな堅苦しかった当時の日本映画をマキノ一家の「浪人街」「雄呂血」伊藤大輔忠次旅日記(忠治旅日記)といった時代劇が破壊していくワケです。
モチロン歌舞伎そのものは舞台で見れば素晴らしい日本芸能です。ですが、舞台でこそ輝る呼吸や演出がそのまま映画のリズムと合致するとは限らない。そこに不満があったからこそ革命が必要になったワケです(単にマンネリ打破の可能性も(ry)
 
しかし、こういった古の作品はかえって今の時代には失われた魅力があったりしますし、むしろ昔を知らない今の人間には、かえって今まで見たこともない当時の雰囲気や空気・演出はとても新鮮に感じられたりもする。
作品にまとわりつく一見ふるめかしいと思えるオーラは、見る人間によっては幻想的で何百倍にも美しく輝く伝説となるワケです。