525ページに渡り「捜索者(The Searchers)」を撮る以前のアメリカという国が行ってきた負の歴史から丁寧に語っていく。
対インディアン戦争においてアパッチやコマンチェ(コマンチ)といった諸部族に対する凄惨な虐殺、作品のモデルとなった異文明間で起きた剥奪事件、コマンチ族と他の部族の違い、シンシア・アン・パーカーの波乱の生涯、コマンチ族として生きることを選んだ混血児クアナ・パーカーの生き様、無益な殺し合いを止めて交渉の道を選んだ決断。
クアナの母:シンシア・アン・パーカー(Cynthia Ann Parker)
映画作りへの姿勢と苛烈さ、「駅馬車」といった作品にナホバ族等の諸部族を起用し続けた話、作品をめぐる評価の変化等々。
酒癖がかなり悪かったり、他の俳優を脚で蹴ってジョン・ウェインがなだめるなんて話もある一方、無名だったウェインをスタッフに認めさせるために“一芝居”打ったり、赤狩り(レッド・パージ)時代にセシル・B・デミルに真正面から反発してジョセフ・L・マンキーウィッツを守ったり、赤狩り運動に参加するウェインを苦々しく思い容赦なくこき下ろしたりと、興味深いエピソードも多いです。
酒癖がかなり悪かったり、他の俳優を脚で蹴ってジョン・ウェインがなだめるなんて話もある一方、無名だったウェインをスタッフに認めさせるために“一芝居”打ったり、赤狩り(レッド・パージ)時代にセシル・B・デミルに真正面から反発してジョセフ・L・マンキーウィッツを守ったり、赤狩り運動に参加するウェインを苦々しく思い容赦なくこき下ろしたりと、興味深いエピソードも多いです。
実話を下に「捜索者」で人種差別に凝り固まった異常者を悪役として、時代遅れの敗者として描いたのが気になっていましたが(オマケにウェインにそのような役を演じさせ&ウェインもまたその役を引き受けた)、その真意に少し迫れたような気がします。
「アパッチ砦」で殺戮を糾弾し、「幌馬車」でナホバ族との争いを極力避けたフォードがどうしてこの映画を撮ろうと思ったのか。さらに「捜索者」を経て「馬上の二人(クアナ・パーカー!)」「シャイアン」でより突き詰められる他民族への視点。
異民族が出て来ない「リバティ・バランスを射った男」でさえ西部開拓時代末期を舞台に政治と人種問題にも触れる試み。本著ではその「リバティ・バランス」劇中のセリフも引用しております。
アメリカで発売された原書
それに…海外でこのような本が出るということは、それだけ「捜索者」への関心と評価が高い証でもあるんでしょうね。
実際スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、ヴィンス・ギリガン、ロン・ハワード、セルジオ・レオーネ、デヴィッド・リーン、ジョン・カーペンター、リドリー・スコット、ピーター・ボグダノヴィッチ、岡本喜八、ヴィム・ヴェンダース、ブレンダン・マッカーシー、マーティン・スコセッシetc...と挙げればキリがありませんが、様々なクリエイターが影響を受けているという事実があります。
また本作はあまり好きじゃないというクリント・イーストウッド(「荒野の決闘」派)やクエンティン・タランティーノ(ウェインならハワード・ホークス「リオ・ブラボー」だろjk派)といった面々も、諸作品で「捜索者」を思わせるシーンを撮っていたり意識しているのが面白い。
ゲームでも「アサシン クリードIII」が「捜索者」の白人と諸部族の立場を入れ替えたようなストーリー展開でビックリしたものです。開発者のアレックス・ハッチソン(Alex Hutchinson)たちはジョン・フォード作品もチェックしているのでしょうか?だとしたら流石としか言いようがありません。