炎628
実際に戦時下で起きたハティニ村虐殺事件を映像化してしまった作品です。
あのクエンティン・タランティーノも太鼓判?を押すほどの最凶の戦争映画です。「イングロリアス・バスターズ」のクライマックスはこの映画の虐殺場面を思い出させますからねえ。
原題が示すとおり、とにかく見ろ、見ろ、見ろ!という映画なのです。
戦争映画に免疫がないという人には絶対オススメしません。万人が受け入れられる、いや受け入れていい映画ではない。怖いもの見たさで見るとかそういうのは絶対に止めた方がいいです。
本当に覚悟が決まった人にだけ見てもらいたいです。
冒頭の老人と子供の会話からして、既に何かに憑りつかれたかのような異様な緊張が画面を支配している。
古戦場で土に埋まったドイツ兵の武器を掘り出している子供たち。それを見守るかのように空を飛ぶ不気味な黒い偵察機。重低音とエンジン音が重なり恐怖を煽る。
とにかく音の一つ一つ、映像よりも音が生々しくて怖い。
水を飲む音、
シャッターを切る音、
不協和音が混ざるラジオ、
愉しげな人々の合唱、
泣き声、
笑い声、
突如襲い掛かる空爆や銃撃音、
天空で開く落下傘の音、
地雷、
蝿の羽音、
雨の中のダンス・・・何もかも不気味な低い音で耳に入ってくるのです。
人々の表情や動物の眼すら何処か死がつきまとう。まるで元から生きていない人形のように。牛が撃たれて死に絶えるまでの眼!
ナチスたちも中々姿を見せない。落下傘や林の奥を不気味に行進する様子が一瞬映り、しばらくは音のみでその存在を誇示し続ける。それが霧が晴れるようにワラワラと姿を現し、雷鳴のような声で人々を嘲笑い村人を殺しまくる。
ホラー映画のような演出が最後まで続き、実際に起きた悲劇を観客に叩きつける。そこに快感を覚えろと言わんばかりに人々は狂ったように阿鼻叫喚の叫びを続け、物語は異常なテンションでサスペンスフルに展開される。
これが胸糞の悪い事に面白いのか、つまらないのかというと面白味を感じてしまうのです。悔しい事に否定したくても出来ない危険な快感。
そりゃそうでしょうよ。
虐殺を敢行する彼らにとっては、不慣れな道で“うっかり”踏んでしまった卵と一緒かそれ以下の存在だったのです。飯を食い呼吸をするように人を殺すのですから。
白ロシア(ベラルーシ)で628どころか5295以上の村を焼きやがった時のように、スターリンが自分の国民を4000万以上殺しやがった時のように。快感を覚えていなければこんな事できるもんですか。出来てたまるかってんです。
皮膚の焼けただれた老人や一瞬映る積み上げられた死体なんてまだ序の口。
女を集団で犯し尽くすなんてまだまだまだまだ。
村人を小屋に押し込めて・・・オーバーキルなんてもんじゃねえです。
体中に寒気が奔りました。耳も頭もブッ壊れそうでしたよ。
実際にあの地獄を味わった人々、死んだ方がマシだったと思い、生き地獄を味わった人々にはこれ以上の地獄があったでしょう。
人種も国が違っても、同じように祭りを楽しみ、同じように記念写真を撮る・・・あれに背筋がゾッとしない人間がいるのでしょうか。
人によっては気分が悪くなったという人もいるでしょう。ナチスを悪く描きすぎだとか、もう二度と見たくないという気持ちも痛いほど解ります。
ですが、実際に焼かれた人々に拒否権なんて存在しない。何故なら虐殺者に虐げられた人々は、嫌でもあの地獄を眼に焼き付けるしかなかった。それこそ泥の中に頭を突っ込んで死にたくだってなったでしょうよ。
それを焼き付けやがった奴らをどうして擁護しなければならないんですか?
自分も同じ目に遭ってもかまわんと思えなかったんだろうが。
そんな奴らが今更命乞いなんかしてんじゃねえよと。
くたばれ。惨めに死んじまえ。てめえらなんぞ火葬する価値も無え、泥の中で死にやがれ・・・と、憎悪を吹き払うには憎悪しかなかった。そうやって己を駆り立てなければ自分を保てなかった・・・そう思って仕方ないんです。
じゃなきゃ家族の死を受け入れられず、泥の中に体を埋めて死んでしまいたくだってなりますよ。それこそ絶叫をあげ続けながら。
婆さんたちも洗脳するように歌いやがる。もう何だよコレ。
敵の髑髏でヒトラーの人形作ってみました。唾を吐くだけじゃ足りません。
主人公も農夫を脅す声や表情もパルチザンに入った時はまったく違う。声も顔もグシャグシャにして。
それが打ち捨てられたヒトラーの顔面にはじめて鉛弾を撃ちこみまくる瞬間の強烈なモンタージュ!
どんどん時間は遡り、独裁者も無垢な赤子に戻る。
ソ連(ロシア)にはテメエの国民自分の手で殺しまくるスターリンとかいうヒゲ親父のクソ野郎がいるくらいですから。そいつに侵略されてからでは・・・遅い。という恐怖。
松明を持った男の選択が、彼らと“同じ”になる事を否定するせめてもの選択だったのでしょう。
劇中では因果応報な展開になりますが、実際は戦後処理の裁判でも裁かれず、戦後ものうのうと生き永らえた虐殺参加者も多かったそうです。
私としては、せめて映画の中だけでもナチ公がキレイさっぱりくたばってくれてザマあみやがれと言いたくてしょうがない。じゃなきゃやりきれないですよ。
ただ、ここで単純に喜べないのもこの映画の凄いところ。
彼等の戦いは終わらない。
次の戦いに向けて彼等は歩みを止められないし、また新しい敵が再び現れて殺しに来る、また殺されていく。
この負の連鎖。疲労感や虚しさを感じる暇も無い。これが戦争という奴なのでしょうね。暗い森の中に消えていく人々の姿を見て、一体どうしたら希望が持てるのだろう。
Иди и смотри
監督のエレム・クリモフ自身はどんな心境で撮ったか知りませんが、正気で撮ったとは信じませんよ私は。正気でこんな傑作を撮られてたまるかっ!
実際に戦時下で起きたハティニ村虐殺事件を映像化してしまった作品です。
あのクエンティン・タランティーノも太鼓判?を押すほどの最凶の戦争映画です。「イングロリアス・バスターズ」のクライマックスはこの映画の虐殺場面を思い出させますからねえ。
原題が示すとおり、とにかく見ろ、見ろ、見ろ!という映画なのです。
戦争映画に免疫がないという人には絶対オススメしません。万人が受け入れられる、いや受け入れていい映画ではない。怖いもの見たさで見るとかそういうのは絶対に止めた方がいいです。
本当に覚悟が決まった人にだけ見てもらいたいです。
冒頭の老人と子供の会話からして、既に何かに憑りつかれたかのような異様な緊張が画面を支配している。
古戦場で土に埋まったドイツ兵の武器を掘り出している子供たち。それを見守るかのように空を飛ぶ不気味な黒い偵察機。重低音とエンジン音が重なり恐怖を煽る。
とにかく音の一つ一つ、映像よりも音が生々しくて怖い。
水を飲む音、
シャッターを切る音、
不協和音が混ざるラジオ、
愉しげな人々の合唱、
泣き声、
笑い声、
突如襲い掛かる空爆や銃撃音、
天空で開く落下傘の音、
地雷、
蝿の羽音、
雨の中のダンス・・・何もかも不気味な低い音で耳に入ってくるのです。
人々の表情や動物の眼すら何処か死がつきまとう。まるで元から生きていない人形のように。牛が撃たれて死に絶えるまでの眼!
ナチスたちも中々姿を見せない。落下傘や林の奥を不気味に行進する様子が一瞬映り、しばらくは音のみでその存在を誇示し続ける。それが霧が晴れるようにワラワラと姿を現し、雷鳴のような声で人々を嘲笑い村人を殺しまくる。
ホラー映画のような演出が最後まで続き、実際に起きた悲劇を観客に叩きつける。そこに快感を覚えろと言わんばかりに人々は狂ったように阿鼻叫喚の叫びを続け、物語は異常なテンションでサスペンスフルに展開される。
これが胸糞の悪い事に面白いのか、つまらないのかというと面白味を感じてしまうのです。悔しい事に否定したくても出来ない危険な快感。
そりゃそうでしょうよ。
虐殺を敢行する彼らにとっては、不慣れな道で“うっかり”踏んでしまった卵と一緒かそれ以下の存在だったのです。飯を食い呼吸をするように人を殺すのですから。
白ロシア(ベラルーシ)で628どころか5295以上の村を焼きやがった時のように、スターリンが自分の国民を4000万以上殺しやがった時のように。快感を覚えていなければこんな事できるもんですか。出来てたまるかってんです。
皮膚の焼けただれた老人や一瞬映る積み上げられた死体なんてまだ序の口。
女を集団で犯し尽くすなんてまだまだまだまだ。
村人を小屋に押し込めて・・・オーバーキルなんてもんじゃねえです。
体中に寒気が奔りました。耳も頭もブッ壊れそうでしたよ。
実際にあの地獄を味わった人々、死んだ方がマシだったと思い、生き地獄を味わった人々にはこれ以上の地獄があったでしょう。
人種も国が違っても、同じように祭りを楽しみ、同じように記念写真を撮る・・・あれに背筋がゾッとしない人間がいるのでしょうか。
人によっては気分が悪くなったという人もいるでしょう。ナチスを悪く描きすぎだとか、もう二度と見たくないという気持ちも痛いほど解ります。
ですが、実際に焼かれた人々に拒否権なんて存在しない。何故なら虐殺者に虐げられた人々は、嫌でもあの地獄を眼に焼き付けるしかなかった。それこそ泥の中に頭を突っ込んで死にたくだってなったでしょうよ。
それを焼き付けやがった奴らをどうして擁護しなければならないんですか?
自分も同じ目に遭ってもかまわんと思えなかったんだろうが。
そんな奴らが今更命乞いなんかしてんじゃねえよと。
くたばれ。惨めに死んじまえ。てめえらなんぞ火葬する価値も無え、泥の中で死にやがれ・・・と、憎悪を吹き払うには憎悪しかなかった。そうやって己を駆り立てなければ自分を保てなかった・・・そう思って仕方ないんです。
じゃなきゃ家族の死を受け入れられず、泥の中に体を埋めて死んでしまいたくだってなりますよ。それこそ絶叫をあげ続けながら。
婆さんたちも洗脳するように歌いやがる。もう何だよコレ。
敵の髑髏でヒトラーの人形作ってみました。唾を吐くだけじゃ足りません。
主人公も農夫を脅す声や表情もパルチザンに入った時はまったく違う。声も顔もグシャグシャにして。
それが打ち捨てられたヒトラーの顔面にはじめて鉛弾を撃ちこみまくる瞬間の強烈なモンタージュ!
どんどん時間は遡り、独裁者も無垢な赤子に戻る。
ソ連(ロシア)にはテメエの国民自分の手で殺しまくるスターリンとかいうヒゲ親父のクソ野郎がいるくらいですから。そいつに侵略されてからでは・・・遅い。という恐怖。
松明を持った男の選択が、彼らと“同じ”になる事を否定するせめてもの選択だったのでしょう。
私としては、せめて映画の中だけでもナチ公がキレイさっぱりくたばってくれてザマあみやがれと言いたくてしょうがない。じゃなきゃやりきれないですよ。
ただ、ここで単純に喜べないのもこの映画の凄いところ。
彼等の戦いは終わらない。
次の戦いに向けて彼等は歩みを止められないし、また新しい敵が再び現れて殺しに来る、また殺されていく。
この負の連鎖。疲労感や虚しさを感じる暇も無い。これが戦争という奴なのでしょうね。暗い森の中に消えていく人々の姿を見て、一体どうしたら希望が持てるのだろう。