「B級映画」は褒め言葉



 B級映画=二流という考え…一体誰が提唱したんだか、まったくもって愚かしい考えです。
正確に言えばB級的感覚で撮られた娯楽映画と言った方が正しいでしょう。

大金をかけて退屈な文芸映画を1本撮るよりも、少ない予算で幾つも面白い映画を撮る。
映画じゃなくともTVドラマ、アニメーション、動画じゃなくとも漫画、小説、絵本といった大人から子供まで気軽に楽しめるありとあらゆるエンターテインメント!!!
 
大衆が求めるものは、大抵後者です。A級と呼ばれるものには無い魅力、面白さ。予算はB級、志はA級。
むしろ下手なA級よりもB級と呼ばれるジャンルの方が面白かったりしますし、それらの映画が後続のヒットメーカーたちを育てたバック・ボーンにもなっている。これだからB級を探求するのはやめられません。
 
そもそも映画が想像されたサイレント映画の時代から、既にジョルジュ・メリエスの短編や連続活劇といった試行錯誤の繰り返しが始まっています。
質を求めるならば、まずは量による研鑽の時代。それが今日の映画を作ったといえます。

ハリウッドにしても、本来は金よりもシナリオ、ストーリーテリング、ディティールで観客を魅了するのが主流でした。それが、何時の間にか金ばかりをかけ大切な何かを忘れようとしています。真に優れた映画とは、金をかけなくても撮れる面白い映画の事を言うのです。

そのフィルムに刻まれた人間の生き様、アクションの鮮やかさ、美術の見事さ…それこそ真に美しい。
映画という絶えず映像が運動を続ける娯楽は、勝手に芸術性とやらも出てしまうのです。それが映画の良いところ。

月世界旅行もまた、偉大なるB級的感覚の娯楽映画。
裁判を題材にした名作十二人の怒れる男も低予算で製作されましたが、この映画ほど優れた脚本、最高のキャメラマン、若手監督や俳優陣のエネルギーさえあれば予算なんてどうでもいいと証明した作品もありませんね。
シドニー・ルメットの本作や同じく低予算のエリア・カザン「波止場」で撮影を担当したボリス・カウフマンといった存在も忘れられません。

今は大作ばかり手掛けるジェームズ・キャメロンも、元々はB級映画の名手ロジャー・コーマンの直弟子であり、キャメロン自身もB級路線で己を鍛え上げ伸し上ってきた人物です。
脚本家兼俳優のジャック・ニコルソンデニス・ホッパー等も多作&定期的に低コスト・低予算の娯楽映画を撮り映画界を支えてきました。
ジョージ・ルーカススター・ウォーズ(Ⅳ:新たなる希望)にしたって、源流はフラッシュ・ゴードンという連続活劇がベースの一つになっています、少ない予算の中でアイデアを膨らませていったのです。
今では巨匠として世界的に知られる黒澤明も、監督や脚本を幾つも描き、戦時下に低予算の映画を命懸けで撮っていた人間の一人。
ヴェネチア国際映画祭で金賞を獲得した羅生門も限られた人数・空間・期間で練り上げられた作品なのです。
黒澤明の影響を受けた初期のセルジオ・レオーネ「荒野の用心棒」で、その弟子的存在であるクリント・イーストウッドも低予算で良質のアクションやスリラー要素の多い傑作を連発しています。

少ない予算でいかに面白い映画を撮るか。
彼らは、普通のアクション映画から大作まで手掛ける職人であり、それを最も得意としたのが1930年代や1950年代といった黄金期と呼ばれる時代を影で支えた監督たち。

例えば、ジョン・フォードによる駅馬車はB級的感覚で撮られた活劇の代表格と言える作品の一つ。

馬が突っ走り続けるという単純にして明快な冒険
 

サイレントからトーキーに変わった1930年代は、フィルム・ノワールの源流やスクリューボール・コメディなどジャンルの幅が拡大した一つの転換期。
ジャンルの発展は、試行錯誤、玉石金剛、原石のような良作・傑作が転がる作品の量産が裏付けています。


例えば、1930年代。サイレント期から活躍しそれ以後も活躍した監督で言えば、このようなリストが出来ます。

ジョン・フォード
レオ・マッケリー
ラオール・ウォルシュ
ハワード・ホークス

フランク・キャプラ

トッド・ブラウニング

セシル・B・デミル
アラン・ドワン
マイケル・カーティス
ウィリアム・ワイラー
等。
後年は大作を撮るようになるワイラーデミルも、初期はB級路線で研鑽を重ねた作家たちです。
また、フランスを中心に活躍し1940年代にアメリカをはじめヨーロッパを渡り歩いたジャン・ルノワールもB級的感覚を持った監督と言えるでしょう。

ワイラーのローマの休日も少ない予算で撮られた作品の一つ。
マーシャル・プラン(戦後のヨーロッパ復興支援計画)の影響で凍結したドルを利用したランナウェイ・プロダクション方式(ハリウッドで撮るよりも海外ロケで撮った方がコストが抑えられる)で制作。

トーキーからスタートさせた人間でも
ジョージ・キューカー
マックス・オフュルス
ジャック・ターナー(ジャック・トゥールヌール)
ヘンリー・ハサウェイ
等。

それにドイツからアメリカに渡りプログラムピクチャーのジャンルで傑作を量産した作家たち
フリッツ・ラング
ジョセフ・H・ルイス
エドガー・G・ウルマー

フレッド・ジンネマン(初期はロバート・フラハティに師事してドキュメンタリーや短編を監督)といった面々。

アメリカに亡命した作家の中には、40年代から活躍し始める、
ビリー・ワイルダー(初期は脚本家として辣腕を振るう)

オットー・プレミンジャー
ロバート・シオドマク
(出身はアメリカ・キャリアはドイツから)といった面々もいました。
日本では先述した黒澤明に加え、
マキノ省三及び
マキノ正博(雅弘)
伊藤大輔

溝口健二
小津安二郎
成瀬巳喜男
山中貞雄
内田吐夢
清水宏
島津保次郎
五所平之助
中川信夫
伊丹万作
といった面々がサンレント・トーキーの枠を超えて日本映画の黄金期を彩りました。


1940年代に戦時下で製作数が限られた時期も、中国の満州といった大陸で自由闊達な映画制作がされていた事にも注目。
ハリウッドが戦時下でも隆盛を極める中、日本やヨーロッパの作家ほど抑圧と言う“バネ”が解き放たれるのを待ちに待った人々はいません。特にサイレント映画の末期に衝撃的なデビューを果たしたルイス・ブニュエルのような人ほど。
祖国を追われたブニュエルが戦後、メキシコにおいてB級映画のジャンルで復活を果たし、賞賛された事ほど衝撃的な出来事はないでしょう。


「忘れられた人々」が世界中に与えた衝撃は尋常じゃありません。プログラム・ピクチャーを経験した作家ほど、B級映画のジャンルに宿る可能性を改めて再発見した人々はいないのではないでしょうか。
 

1950年代は、ルイス・ブニュエルの復活と共にハリウッドや日本にも再び黄金期が訪れます。
ロバート・アルドリッチ
リチャード・フライシャー
ニコラス・レイ
サミュエル・フラー
ロジャー・コーマン

そこに40年代から活躍を続けてきた
アンソニー・マン
ドン・シーゲル
ロバート・ワイズ
ジョン・スタージェス
エドワード・ドミトリク
バッド・ベティカー
ジョゼフ・ロージー


上記の30年代以降も活躍を続けてきた古参を加えれば、物凄い層の厚さを感じられます。
彼らは赤狩りによる人材の流出、それまでのハリウッドを支えていたハリウッドのスタジオ・システムの崩壊・制作費の限られた中でも研鑽を続けた作家たちです。
日本でも、戦時下にデビューした監督が50年代を彩った時期でもあります。
黒澤明
本多猪四郎
市川崑
川島雄三
森一生
木下恵介

復活を果たしたマキノ雅弘といった戦前からのベテラン勢。
後続となる60年代には
ジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーといったヌーヴェルヴァーグ
キン・フーをはじめとする香港の武侠カンフー映画
日本の
任侠・ヤクザ映画
日活ロマンポルノ

イタリアにおけるマカロニウエスタンブーム


70年代にはアメリカン・ニューシネマジョン・カーペンターのホラー映画、ジョージ・A・ロメロといったゾンビ映画ブームシルヴェスター・スタローン等々。


80年代にはTVドラマのジャンルでも活躍するデヴィッド・リンチや製作総指揮で辣腕を振るうゲイル・アン・ハードといった面々が今日でも語り継がれてきたように、B級映画なくして今の映画はありません。

 

90年代にはトニー・スコットクエンティン・タランティーノ等々・・・!
大衆に支持された者もいれば、多くは評論家による事実の抹消にも等しい不当な評価によって忘れ去られてきました。
ですが、今の時代は批評家の断罪の犠牲にされる者や作品も少なくなり、ネットで情報も共有できる。とても良い時代になったものです。