セルゲイ・エイゼンシュテインの短編について

●概要

セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン作品の中で最も軽快で、明るく、ちょっぴり切ない短編3つを御紹介したいと思います。
 
エイゼンシュテインはサイレント初期からトーキー初期の頃にいくつか短編を撮っていて、どれも興味深い作品ばかりです。

グルーモフの日記(Dnevnik Glumova)


別題「グリモフの日記」等。
1923年に撮られたわずか5分のフィルム。
エイゼンシュテインは写真でハニカんだような表情を多く残していますが、映画そのものに笑顔で出演した作品はほとんどありません。
今作は記事冒頭の概要に載せたエイゼンシュテインがほほ笑む場面のように、とにかくユニークな趣向に溢れた作品となっています。
 
エイゼンシュテインの挨拶から始まるオープニング、サーカスの芸人たちが様々な表情(変顔)
大きく動く場面と言えば、シルクハットにアイマスクとタキシードの芸人が塔に登っていく場面くらい。
ですが、白い道化師がでんぐりがえしをすると変な台座?になったり、砲台になったり、鉤十字のマークになったり、赤ん坊になったり、ロバになったりと。
 
トリック撮影を駆使した映像の数々はジョルジュ・メリエス等の影響が見え後のモンタージュ技法に発展していくものを感じました。

センチメンタル・ロマンス(Romance sentimentale)


ルイス・ブニュエルがコレを見てブチ切れた?らしい作品。
エイゼンシュテインの助監督を務めてきた長年の相棒グリゴリー・アレクサンドロフ“助監督”として協力、
1930年に撮られたトーキー作品。エイゼンシュテインにとっても初めてのトーキー作品にあたります。
本来は女性歌手のプロモーション映画として企画されていたそうです。
まあ、エイゼンシュテインが仕事をしたような箇所も結構あります。
 
劇中で歌を披露するのはマーラ・グリー。彼女のシーンはアレクサンドロフが担当したようです。
オープニングから力強い音楽と自然の強烈な描写。
音、波、林。激しい切り替わりがしばらく続き、場面は並木道沿いの湖にたたずむ建物の室内へ。
物思いにふけるマーラ。黒衣に身を包んだ彼女の姿は、何処か哀しげな表情をしています。
彼女を見守る可愛らしい犬もまた。
彼女の歌も、何処か寂しげな音色。
 
一説には、この映画は亡命ロシア人の悲哀といったものを歌い上げた作品でもあると言われています。
しばらくは哀しげな音色が続き、ピアノを弾く彼女と雲に覆われた空が重なるモンタージュ
手書きのフラッシュをバチバチやる演出はちょっとやりすぎな気が。
 
それが徐々に雲間から光が差しはじめ、湖を柔らかい光が包み込む。
太陽をレンズで直接?撮っている映像はフィルムが乱れている感じ。
直視できない眩しさ、熱さ、暖かさ。青い空に白い雲が浮かび、マーラも天に舞うように歌っています。抱き合う男女の姿は何を物語るんでしょうねえ。
春の訪れか、木々には花も咲きほこります。

ベージン平原(Bezhin Meadow)


または「ベジン高原」
この映画はですねー、本当に途中まで陽気な感じの映画なんですよ。
ですが、終盤はいつものエイゼンシュテイン。なんせ本来は「全線」「十月」を混ぜてより解りやすくしたような映画になる予定だったんですから。
 
最初は農場で働く父親とその息子の物語でしたが、ソビエト政府の方針に反対する父親が収穫作業の妨害に出る。息子は反政府というだけで今まで苦労した畑の収穫を台無しにしようとする父親に反抗、悶着の末息子をあやまって殺してしまう父親・・・という悲劇的な話なのです。
やがて彼の死は社会的な動乱に・・・。
何だか「イワン雷帝のエピソードを何処か思い出します。
 
この映画は実際の出来事を下敷きにした映画で、共産党青年部の依頼で1935年~1937年にかけて撮影が行われていたそうです。
ところが、ソビエト中央政府の命令で作業は中止。
理由は様々考えられていますが、政府がとった方針と製作への干渉が最大の要因とか何とか。
 
フィルムは戦争で失われたと思われていましたが、1960年に作業中のフィルムの一部(スチール)を発見。
オリジナルの脚本に基づいて復元され、その後スチールの修復作業も大分進みかなり良好な状態になったそうです。
エイゼンシュテインが苦汁を舐めた作品は戦艦ポチョムキンだけじゃなかったんですねー。
というより、エイゼンシュテインの映画はほとんど発禁処分にされてもおかしくないようなドギツイ作品ばっかでしたから。今日までコレだけフィルムが残っていること事態、奇跡だと言えますね。
 
フィルムは修復された30分版と修復前の26分版があります。
修復版にはフィルムの事情や修復作業について語った4分のフィルムが。
映画というより、動画として動く瞬間は一切ありません。
総てスチールと説明字幕のみの構成。サイレント映画のような状態です。シーンも少し飛び飛びでダイジェストを見ている感じ。
 
他の例で言えばラオール・ウォルシュ「港の女」等も、終盤は一部が欠け上記のようにスチールで補われた状態でした。
 
それでも「ベジン高原」“一部”と言っていいのか?というくらい膨大な量のスチール。
複数の写真で動きが伝わってくるような躍動感。
農村の人々の様子や、特に教会の火事を消化するシーンは圧巻!
ポンプを一生懸命に漕ぐ描写、ガラス窓に閉じ込められた鳥の群れ(鳩?)を子供がガラスを割って解放する場面、ソレを見て安堵に包まれる子供たちの様子。その後の教会での騒動といい、実にドラマチックです。
それに農道を走るトラクターの群れ、群れ、群れ!
かつて「全線」で見た、あの延々と続くかのようなスペクタクル。それが写真一枚で伝わってくるんですから・・・たまらないです。
 
 教会を村総出でキレイにしていく場面。
その時の人々が見せる眩しい笑顔、笑顔、笑顔の波でくすぐられるような・・・とにかく何ともいえない気持ち良さがありますね。
 
夕暮れ、夜になっていよいよ収穫前夜の宴でたわむれる真っ最中という時に・・・先述の悲劇が起きてしまうのです。
一転して暗いムード、希望を運んでいた筈のトラクターの群れが今度は恐怖を運んでくるよう不気味な存在に見えてしまう。この言葉のいらない、万の言葉にも勝る“一瞬”の積み重ね。
もしもコレが完全なフィルムで残っていたら・・・惜しまれます。

それでは皆さん、またお会いしましょう。